考えているのは、新しいシェアリングの形-タニノクロウ 庭劇団ペニノ「蛸入道 忘却ノ儀」

庭劇団ペニノが、三重に初上陸する。元精神科医という異色のバックボーンを持つペニノ主宰・タニノクロウは、人間の記憶の襞に入り込むような深淵な芝居作りと、リアルを追求した精緻な舞台美術で国内外に多くのファンを持つ。今回上演される「蛸入道 忘却ノ儀」は、2018年に東京で初演され、昨年10月には「KYOTO EXPERIMENT2019」で再演されたペニノの最新作で、観客は劇場内に作り上げられたお堂で、俳優たちが執り行う、“蛸”を祀った儀式を体感する……と、ここまで読んで頭が「?」でいっぱいになったあなた。まずはこのインタビューを読んで、タニノクロウが演劇の未来をどのように見ているのか、その思考の片鱗に触れてみてほしい。

 

──「蛸入道 忘却ノ儀」は、近年、観客との新たな関係性作りを目指しているタニノさんの、最先端とも言うべき作品です。観客はお堂のような空間に招き入れられ、俳優たちが歌と音楽を用いて執り行うとある儀式を、視覚・聴覚・嗅覚・感覚で体感します。初演の稽古はまさに“修行”という感じで、タニノさんと8人のキャスト、スタッフが、さまざまなアイデアやイメージを出しつつ、最終的にはそれを極限まで削いでいく、ある意味ストイックな挑戦が行われました。また本番が開いてからも作品は変容し続け、来場した観客の影が作品の中にどんどん堆積していくような深みを感じました。

タニノ:率直に言ってしまえば「蛸入道 忘却ノ儀」は、“俳優、演出家、作家、観客”というような枠組みで作品に関わるのはもう嫌だなと思って作った作品なんです。岸田國士戯曲賞を受賞した「地獄谷温泉 無明ノ宿」や「ダークマスター」など、近年は再演ものが続いていますが、再演ってある程度出来上がったものを、「会場に合わせて今回はちょっとここを変えよう」とか「こうするともっと観やすくなる」と、何度も繰り返し調整していく作業なので、あまり創造力を必要としないんです。だからこの作業に時間を費やし続けるのは、どうだろうなと思って……。このままの形態でクリエーションを続けていても、自分に見えている想定内の景色しか見えなくなるような気がしたんです。そこでもっと作品の根底から考え直す必要があるだろうと考え、“全部どっちでもいい、なんでもいい”という状態を作ることを目指しました。俳優と演出、舞台と客席、稽古と本番……など、あらゆる境界をなくしたい、と。それがこの「蛸入道 忘却ノ儀」です。

──今年(2019年)の京都公演前には、かなり稽古されたそうですね。

タニノ:稽古したのは主に、お客さんと感覚をもっとシェアするにはどうすればいいかという部分。例えば初演では、劇中で使う経典や楽器を、劇場に入るときにスタッフが手渡していましたが、京都ではそれを全部、あらかじめお堂の中に置いておくことにして、お客さんが自由に手に取れるようにしました。楽器の種類も増やして、打楽器だけじゃなく、トイピアノのような音階のあるものも置いたんです。そのようにお客さんの自由度を高める点を、随分改良したと思います。あと、僕も出演する部分が増えて、太鼓を叩くときは毎回すごく緊張しますね(笑)。そういう部分はかなり意識して変えたと思います。

──俳優さんとの関係については、変わったところがありますか?

タニノ:初演からそうでしたが、「蛸入道」の俳優たちは各々がこの作品のためにどうしていけばいいのか、どうなればいいのかってことを当たり前のように話し合う集団だったんです。それは今も続いていて、どんどん深まっていますね。

──初演時、タニノさんはこの作品を「俳優のための作品」とおっしゃっていました。確かにこの作品は、俳優の技術がないと成立しない、俳優だからこそできる作品ではないかと思います。

タニノ:そうですね。俳優って常に周囲を意識している存在というか、周囲のあらゆることから影響を受けていると思うんです。俳優同士もだし、お客さんや小道具、照明、音響などいろいろなことを常に気にしていて、それらの影響を受けながら演じているんですよね。この作品では、そのことをめちゃくちゃシンプルに見せたいと思っていて。例えば本作では、蛸にちなんで赤色の服をお客さんに持ってきてもらい、俳優たちはそれを全部着込んで演じます。でもその服が、例えば首回りがすごくキツいものだったり、赤ちゃんの服だったりしたら、パフォーマンスに影響が出るかもしれませんよね。あるいは俳優が歌っているときにお客さんがめちゃくちゃにピアノを弾いたら、俳優は音程を外してしまうかもしれない。いろいろなことがバーチャルで体験できる今だからこそ、そういったお互いへの“影響”を直に体感できることが、ライブパフォーマンスの存在意義になってくるんじゃないかと思います。

──2017年に上演された「MOON」や「MOTHER」など、近年、タニノさんは観客との新たな関係性作りにさまざまなアプローチをされています。

タニノ:そうですね。ただいわゆる観客参加型っていうのは僕自身、ちょっと苦手なんです(笑)。「これをやってください」というより「やってもやらなくてもいいですよ」という感じで、もっとふわっとやりたい。だからこそ、お寺の舞台美術を作ったというのもあると思います。あの空間に入ってしまえば、ある程度心の準備ができますから(笑)。

──確かに、何らかのルールに則って行動しなくてはいけないんだろうと覚悟する部分はあります(笑)。ペニノ作品は活動初期、ビジュアルや役人物の関係性のリアルが高い評価を得ていましたが、近年はそのリアルの意味が少し変わってきていて、俳優と観客が同じ空間にいる時間的空間的なリアルを追求する形に進化してきているのではないでしょうか。

タニノ:そうだと思います。僕たちは何をシェアしているのか、ということを最近よく考えていて。例えば僕も演劇を20年くらいやっていますが、舞台はお金になりませんから、好きでやっているところが大きくて。でもやっているほうは作ったり演じたりする喜びだけでやっているわけし、観る側もわざわざ時間を使い、一緒に観ている隣のお客さんに気兼ねしながら観ている(笑)。演劇のこの信用の高さは、財産じゃないかなと思うんです。これから社会は、自分が信頼する人たちと時間にしろ、空間にしろ、いろいろなものを分け合って生きていかなきゃいけないと思うんですね。今ブロックチェーンとかクラウドファンディングとか、いろいろな技術や考え方がありますが、基本的にはそれらもシェアリングの話。じゃあ僕は演劇で何ができるかと立ち返ったときに、演劇という信頼性の高いシェアリング関係の中ならできることがあるんじゃないかと思ったんです。そこにもっと意識的になりたいなって思うし、新しいシェアリングについて考えながらこの作品を作ったところがあります。

──今回はペニノにとって初の三重公演となります。

タニノ:三重のお客さんには、俳優って何なのか、どういう状態でいることなのかを観てもらえれば。あとこれは東京ではなかった反応なんですけど、劇中でお経を読むシーンで、京都のお客さんは毎回数人、そこで実際にお経を読んだり、歌に参加する人がいたんです(笑)。三重ではどんな反応があるのか、楽しみにしています。

取材・文:熊井玲