7月16・17日に三重県文化会館小ホールで上演予定の第七劇場「人形の家」。
第七劇場主宰の鳴海康平さんにお話を伺いました。
百年の時を越える戯曲
―これまでルイス・キャロルやドストエフスキーなど、海外の作家の名作を舞台化されてきた第七劇場ですが、今回はノルウェーの巨人ヘンリック・イプセンに初めて挑戦されます。イプセン作品を選ばれたきっかけは何だったのでしょうか。
鳴海:私自身は作家ではないので、自分で戯曲を書きません。そのため、上演する戯曲を選ぶときはいつも悩むんですが、いくつかの指針があって、ひとつは日本だけではなく世界中で知られている戯曲であること、もうひとつは(これはひとつ目ともやや関係するんですが)、戯曲が書かれてからある程度の年月が経過していることです。
三重県文化会館さんで上演させていただいた「Alice in Wonderland」(2015年上演)や「罪と罰」(2016年上演)は約150年前、「かもめ」(2010年上演)は約120年前に原作が書かれています。昨年国内ツアーをした「オイディプス」はギリシア悲劇と呼ばれる原作で約2500年前くらいに書かれています。
昔の戯曲というのは、確かに現代とは状況設定が大きく違っていたりもするのですが、視点を変えて考えると、これだけの年月が経っているのに世界中で読まれ続け、劇場で上演され続けているということは、時代を超えて観客に訴える力をその戯曲が持っていることの証明だともいえると思うんです。時代を超えて、国や地域を越えて響く力を持つ戯曲を上演することに、私たちは魅力を感じています。
そこでイプセンの話になるのですが、イプセンは今でもヨーロッパでは上演されることがとても多く、「近代演劇の父」ともいわれています。それもやはりイプセンの作品には現代にも通じるテーマが描かれているからだと思います。ギリシア悲劇、イギリスのシェイクスピア、ノルウェーのイプセン、ロシアのチェーホフ、この4つは西洋の演出家であれば誰しも取り組む巨人たちです。この中で、私たちはまだイプセンには向き合ってなかったので、いつかイプセン作品に取り組みたいと以前から考えていました。
実は、今年2017年は、1917年にロシアで起きた二月革命からちょうど100年が経ちます。国際女性デーに起きた女性を中心にしたデモが、ほかの男性労働者や兵士にまで拡大し、ロシア帝政が崩壊する革命にまで発展した大きな事件でした。今年はこの意味で記念すべき年でもあるんです。
そしてイプセンは、中期から後期にかけて「女性の自立や権利」をテーマに作品を書いていることもあり、そのイプセン中期の代表作「人形の家」を上演しようと考えました。
名作はいつだって懐が深い
―イプセンの「人形の家」といえば、これまで世界中の演出家によって上演されてきました。鳴海さん流の「人形の家」はどのようになるのでしょうか? 例えば海外と日本の劇団での上演される際の描かれ方の違いなどもあれば、是非教えてください。
鳴海: そうですね、「自由」や「自立」「平等」「法」というモチーフが、特に女性についてのそれらが描かれる「人形の家」は、これらのモチーフを好むヨーロッパではたくさんの演出家によって上演されています。時代や社会状況によって演出は変わってきたと思いますが、私が知る範囲で特徴的な作品を2つ紹介しておきたいと思います。
ひとつはドイツの演出家 トーマス・オスターマイアー Thomas Ostermeier が演出した作品です。彼はイプセン作品をよく演出しています。「人形の家」は主人公である妻の名前「ノラ Nora」という作品として演出しています(ドイツでは「ノラ」というタイトルの方がポピュラーでもあります)。とてもモダンで豪華な部屋を舞台美術に、とても強いノラを描きました。どこが強いかというと、原作ではノラは夫との関係に不信を抱き、自分自身の力で社会を知るために子どもを置いて家を出るのですが、オスターマイアーの「ノラ」のラストではノラは夫を殺してしまうんです。原作が初演された1879年当時、妻が夫と子どもを置いて家を出るというラストは衝撃的すぎて大きな社会問題となりましたが(たった140年前でもそういう時代だったのです)、21世紀ではそれほどの衝撃ではないことをふまえて、ラストを変更した意図があったようです。
もうひとつは、ノーベル文学賞を受賞しているオーストリアの女性作家 エルフリーデ・イェリネク Elfriede Jelinek が「人形の家」をもとに書いた「ノラが夫を捨てた後なにが起こったか」という作品です(1977年発表)。タイトルからもわかるように「人形の家」の後日談です。「人形の家」は妻でもあり母でもある女性の自立や権利を描いていることから、フェミニズムの分野でも語られることがある作品です。しかしイェリネクは、そこに描かれている女性像に対して、そして初演から100年くらい経った後で主張されているフェミニズム、つまり女性に限らず不平等や抑圧に苦しむ弱者の叫びの一部に、この作品をとおして建設的な批判を加えました。同時に現代でも、女性の権利の歪みや、男女の不平等、女性に限らない社会的マイノリティの生産が依然として続いていて、ある部分で大きくなっていることを描きました。
極端な作品を2つご紹介したので「人形の家」が、なんだか怖い作品のように感じられるかもしれませんね(笑) でも、名作と呼ばれる古典戯曲というのは、時代によって、国や地域によって、さまざまに演出を変えて社会に訴えかけてくる懐の深さがあることを知ってもらえたらと思います。
今年、私たちが上演する「人形の家」は、妻が夫を殺したり、娼婦になったりはしません(イェリネクの作品だとノラは家を出た後、生きるために娼婦になります)。ただ、私たちも「人形の家」の懐の深さを少しばかり拝借して、現代における「男女の平等」が抱えている課題や、私たちが当たり前だと思っている「家族」の別の顔を描きたいと思っています。
第七劇場の作品ではよく使われる手法なのですが、今回の作品はイプセンの「人形の家」のテキスト以外にも、たくさんのテキストをコラージュして構成しています。簡単にご紹介すると、「人形の家」が日本で初演された同じ年に創刊され、日本における女性運動に大きな影響を与えた女性による文芸誌があります。「青鞜」という雑誌ですが、そこに名を連ねた与謝野晶子、伊藤野枝、岡本かの子などのテキスト、そして「青鞜」でも評論が掲載されたノーベル賞受賞作家バーナード・ショーの戯曲「ウォレン夫人の職業」のテキストもコラージュしています。本筋のテキストと外部のテキストを並べることで、現代の私たちにとってより身近な問題として「人形の家」が現れてきます。
移ろいゆく家族のカタチ
―フライヤーには「家族」というキーワードが出てきますね。
鳴海: 今や合計特殊出生率は低下し、日本の人口減少は避けられません。核家族や単身者も増加し、家族の形はさまざまです。一部から「古き良き一家団欒が失われてしまった」とか「日本の伝統が消えつつある」という言葉を見聞きしますが、実のところ、この私たちが思い描く「家族」という絵は明治民法の制定によるもので、「つい最近」において政府に主導され思いのほか強引につくられた絵だということは、あまり知られていないようです。
「人形の家」は、19世紀末当時、世間では当たり前だと多くのひとが考えていた家族像や女性の立場に疑問を投げかけました。デンマークでの初演のときには、かなり批判も多かったようです。それから140年くらい経った今、「人形の家」で描かれる家族像もすでに古くなっている部分は否めません。しかし、その家族像は変わっても、家族や男性が女性に対して無意識に押し付けている役割はあまり大きくは変わっていないとも感じます。
家族という形ですら、時代や場所によって変わります。女性や男性に対する、いわゆるジェンダー意識も少しずつ変わってきました。ただ、家族の中の女性の立場、社会の中の女性の立場は、男性のそれと比べると、まだまだいびつであるのは事実です。
私たちにとって、変わっていく家族とは何なのか。その変化し続ける家族を構成する個人の自立とは何なのか。そしてその個人が自立するために、家族が家族であるために/家族になるために/家族をするために、今の社会や、私たち世間もどう変わっていかなくてはいけないのか。こういうことを「人形の家」は現代の私たちに問うているように、私は感じています。
―「人形の家」の主人公ノラといえば、明治を代表する女優・松井須磨子をはじめ、昨今では大竹しのぶや宮沢りえなど名立たる女優が演じていますね。鳴海さんの描く「ノラ」像は?
鳴海:そうですね、松井須磨子はこのノラ役の好演をきっかけに新劇を代表する女優になりましたし、これまでも名立たる名女優がノラを演じてきました。
さきほど少し触れましたが、今回の第七劇場版「人形の家」は家族がテーマのひとつであるといえます。原作3幕でのノラの台詞「私は何よりもまず人間です」にも表れているように、第七劇場版「人形の家」に登場するノラは妻であること、母であることよりも、ひとりの人間であることを選びます。ただ、ひとりの女性が家族を捨てて、社会の中でひとりで生活していくこと、いや、女性に限らず、この現代社会の中で人間がひとりで生きていくためには、家族内で女性がぶつかっている壁と似たような壁にぶつかるのではないかと思うのです。その見えない暴力のようなものをあぶりだす存在として、ノラを描きたいと考えています。
二人のノラ
―今回、公募で出演者オーディションを実施されましたが、キャストの顔ぶれについて教えてください。
鳴海:オーディションには三重県内外から15名ほどのご応募をいただき、今回は松阪を中心に活動されている成川ちほさん、名古屋在住の秋葉由麻さんにご出演いただくことになりました。この二人を迎え、そして今年広島から三重県に移住し第七劇場に所属した新人・三浦真樹を加えた第七劇場の俳優陣6名の、計8名で上演します。
ノラを第七劇場・木母、その夫ヘルメルを第七劇場・小菅、ノラを脅迫するクロクスタを第七劇場・伊吹、ノラの古い友人リンデ夫人を成川さん、ヘルメルの友人ランク医師を第七劇場・三浦、女中を第七劇場・菊原、二人目のノラを秋葉さん、調査員を第七劇場・佐直が演じます。
調査員という役は原作には登場しません。そしてなぜノラが二人いるのかは観てのお楽しみ、ということで(笑)
―鳴海さんのいちばん好きな場面は?
鳴海:場面ではないのですが、さきほども出てきた「二人のノラ」が見どころです。ちょっとだけ秘密を明かすと、フェミニズム文学批評の中で、「家を出て行ったノラ」と「家を出て行かなかったノラ」の二つの視点で女性の立場を考察されることがあります。それをヒントに、ノラを二人登場させることで「人形の家」を、現代に対して有効なドラマとして鮮明にしたいと思っています。
劇場で海外旅行体験を
―今年は7月の「人形の家」、11月の日台国際共同プロジェクト「1984」と、三重県文化会館での公演が続きます。最後に意気込みをお願いします。
鳴海:劇場での体験というのは、海外旅行に似ていると私は感じています。海外に行かれたことがある方はよくわかると思うのですが、渡航前には本やネットでいろいろ調べることや思いをはせることはできても、やはり行ってみないとわからないことだらけです。そして歴史や文化、価値観が異なる世界を体験することで、自分自身が確実に変化します。そして自分の人生をより豊かにする視点を手に入れることができます。それは劇場体験もまったく同じだと思うのです。
加えて「人形の家」は約140年前、北欧で書かれた作品ですし、今年2年目となる台湾カンパニーとのプロジェクト・日台国際共同プロジェクトの「1984」は、約70年前にイギリスで書かれたSF小説の金字塔を台湾人作家/演出家が演劇に翻案します。そして日本と台湾の俳優が共演します。この直接的な意味でも、まるで県文で海外旅行ができます(笑)
私たちは自分自身の人生を豊かにしたいと願い、そのための生活をした方が良いと考えるのと同時に、次の世代に、私たちの想像以上のスピードで変わっていく今の世界や社会の中で豊かに生きる知恵を伝えていくことも大事なことだと思います。 ぜひ劇場体験を、劇場での海外旅行体験を、人生を楽しむツールとして活用してほしいと願っています。
―ありがとうございました。今後の活躍にますます期待が高まります。
6月20日には、鳴海さんの解説付きで関連企画「人形の家を読んでみよう!」も開催予定。
作品をより楽しむ手引きとして是非ご参加ください。