広田ゆうみ・鳴海康平 岸田國士を上演する

はじまりは打ち上げだった・・・

-今回の「葉桜」の企画は、昨年の金沢で始まったと聞いています。言い出したのは広田さんだったと。

広田: 確か、『人間そっくり』ツアー1)2014年5月に、安部公房の不条理小説「人間そっくり」をこのしたやみと、津あけぼの座の専属劇団Hi!Position!!がリーディング作品として共同製作を行い、広島・金沢を公演。その他、東京・三重・京都で上演を行った。2015年4~5月には三重・松山・長崎・宮崎で上演予定。金沢公演打ち上げの席で、『命を弄ぶ男ふたり』2)1925年発表の岸田國士による一幕劇。鉄道自殺をしようと思った、恋人を失った男と、恋人と別れざるをえなくなった男が、同じ時刻に出会ってしまう。の話が出たんですよね、山中さん3)山中秀一。特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ 副代表理事・テクニカルディレクター。このしたやみと劇団Hi!Position!!の合同ユニット「このしたPosition!!」では出演もする。と二口さん4)二口大学。俳優・このしたやみのメンバーとして、三重にも度々登場。NHK朝の連続ドラマ「まっさん」での「暗算の小野」役でも話題に。がやったら面白そうじゃないか、と。それで、いいなあ、それなら私は女性二人芝居をするもん、三重の女優さんと『葉桜』とか、と言った……のがはじまりでしょうか。お酒の席の話で、実現するとは思っていなかったのですが、そこがPANみえ5)特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえの略称。「パンみえ」とも。の怖いところで(笑)『人間そっくり』も元を辿ればお酒の席から6)公演企画の多くは打ち上げで話している内に決まることが三重は多い。でしたものね。

-演出するなら鳴海さんじゃないの、と、これまた、近くに鳴海さんが座っていたもんだから、そうだそうだってなったんでした。

鳴海:隣のテーブルで飲んでいて、突然「鳴海さん、演出でいい?」と飛んできたので、「OKです!」と即答したんですが、そのあとに「葉桜」をゆうみさんとつくるっていうのを聞きました(笑)。飲みの場でも「おもしろい」と思った企画を行動に移すっていうのは三重のすごいところですね、それに企画が動き出すのも早い。

岸田國士「葉桜」をめぐって

-実際、広田さん「葉桜」への想いっていうのはあったんですか?

広田:そうですね、このしたやみで幾度も上演している『紙風船』7)このしたやみは、2009年と2014年に津あけぼの座で上演。なお、このしたやみは2015年9月に三重県文化会館で公演を行う。や個人的にいつかやってみたい『チロルの秋』8)1924年発表の岸田國士による一幕劇。晩秋のチロルを舞台に、流浪する男女の幻想的な会話が特徴の作品。などと違って、岸田戯曲の中では好きというより、何というか“引っ掛かっている”作品でした。母と娘の曰く言い難い関係というのが身につまされて、近すぎるというか……もちろん必ずしも我が家がこうだったというわけではありませんし、私は母親の側に立ったことはないのですが、理屈でなく感情で進むようなこの母娘のやりとりに、反感と共感との両方を覚えるんですね。苛立たしいし、懐かしい。しかし、引っ掛かりながらも、いつかはやるのだろう、とぼんやり思っていたりもしました。

-鳴海さん、岸田國士の中でも二人芝居はいくつかあります。夫婦の「紙風船」や、先程にも出た男二人の「命を弄ぶ男ふたり」、そして母と娘の「葉桜」。演出する側として、二人芝居をつくるというのはどうですか?

鳴海:2007年に岸田國士の「驟雨」9)1926年発表の岸田國士による一幕劇。ある夫婦のもとに、新婚旅行に旅立ったはずの妻の妹が訪ねてくる。あわてる妻とは対照的に、無口な夫は語り出すのが・・を演出したことがあって、そのときは作品に自分なりの納得がいかなかったんです。だからもう一度岸田戯曲と向き合いたいという気持ちがずっとあって、今回の機会は気合が入りますね。「紙風船」も「葉桜」も「命を弄ぶ男ふたり」も、よく上演されていますよね。登場人物が少ないから上演企画をつくりやすいこともあると思いますが、それだけじゃなくて、岸田がフランスから帰ってきた直後のこれらの初期戯曲には、岸田の人間への観察力が素直に出ている魅力があるんだと思います。舞台上に多くのひとがいる場合、その舞台空間をどんな時間にするのかみんなが把握して、それを実現するまで時間がかかりますが、二人芝居は演出や俳優からの提案を試すことも、舞台空間の把握もとてもシンプルで早い。煮詰まると大変なんですが(笑)稽古の密度が高くて、とても楽しいですね。

-広田さんと鳴海さんは、この「葉桜」についてかなりやりとりをしたそうですね

広田:最初の段階でかなり話しましたね。個人的にはそういう作業が好きなのでおもしろうございました。それまで作品を拝見したりお話したりして、鳴海さんは非常に頭の切れる方だという印象がありましたので、ついていけるかしらと思っていましたが、『葉桜』というテキストとの距離感が割と似通っていて、ふむふむ頷きながらお話できました。

鳴海:ゆうみさんは知識も豊富で感覚的にも論理的にも思考できる。この聡明さには感銘を受けました。かなり絡まっている糸の玉をほぐしていくと実は一本の糸だった、というような感覚はなかなか貴重なものでした。
一見何気ない母娘のやりとりを描写しているように見えて、緻密に母と娘の主従関係や、同一化、そして越えがたい溝を描いている。緻密に何気なく母と娘の距離が書き込まれていることが見えてきたのは、ゆうみさんとの読解のおかげです。

広田:二人で読解していて、理屈ではなく感情で進む、これは、鳴海さんも私も、やや苦手なやりとりですね、というところで見解の一致をみたのですが、詳細に読んでいくと、それを非常に論理的に組み立ててあるのだとわかり、これは美しい、とまた見解の一致をみて、俄然おもしろくなってきました。テキスト自体はできる限り論理で追った上で、芝居としてはどう手を離すか、ということだと思うのですが、鳴海さんとの現場でそのせめぎあいを探っていくのが楽しみです。私はどちらかというと「言葉」で動く人間なので、鳴海さんのシャープな言葉がたいへんありがたいです。

-「葉桜」は大正時代の作品です。時代を経て変わらないこと、変わってしまったことというのがあると思いますが、いかがですか?

鳴海:シンプルな会話劇で、口語体のリズムが小気味よい戯曲なので、若干の言葉遣いを除けば、すんなり耳に届きますし、母と娘のあいだにある磁石のような力関係は、程度の差はあれ今も昔も変わらないように感じます。もちろん大正時代には女性には参政権がなく、法律上の社会的な位置も今とは大きく違うんですが、結果的に社会が女性に押し付けている役割などは大きく変わっていないんじゃないかとも感じますね。

広田:変わらぬことは、母と娘の関係の在り方でしょうか。母にとって娘は、過去であり、未来でもある。娘にとって母は、未来でもあり、過去でもある。もちろんそれは象徴でしかないのですが、それが実体を持って目の前にいるように感じて、お互い、時に癒され、時に傷つくのでしょう。父と息子はどうなんでしょうね。同じ要素はあると思うのですが、やりとりは変わってくるのかな。
それから、当たり前のようですが、人は「しあわせ」になりたいと願い、「しあわせ」とは何かと考え続けるということでしょうか。今ある居場所は常に失われ続け、与えられた時間は永遠ではない。それでも居場所はどこにあるのだろうかと考え続けるということ。……しかしこれはどうも話が広がり過ぎるかもしれませんです。
変わったことといえば、女性の人生における男性の位置かと思います。かつて、女性の「しあわせ」は男性によって決まっていた。男性が女性の「しあわせ」を保証するものとして機能していた、少なくとも機能することを期待されていた。現在はあまりそういうことはないでしょう。もちろん個人差はあるでしょうが、個人差と言えること自体がその証左かなと。男性も女性も自由な時代。不安な時代ともいえる。しかしその不安の本質は今も昔も変わらないのではないか、と、また変わらぬところに戻りましたが……。

三重・京都 クリエーション

-鳴海さんは昨年の春に三重県津市に移住されて、津あけぼの座・津あけぼの座スクエア、そして昨年の秋にこけらおとしを行った鳴海さん代表の第七劇場がレジデンスカンパニーとなっているテアトル=ドゥ=ベルヴィル10)特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ運営管理による津市美里町三郷に2014年11月オープンした劇場。第七劇場がレジデンスカンパニーとなっている。
テアトル=ドゥ=ベルヴィル
と3つの芸術監督も務められていますが、芸術監督として、三重の人たちと創るということに関して、意義をどう感じていますか?

鳴海:このクリエーションは津あけぼの座のミッションのひとつ「育む劇場」11)特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえでは、運営する3つの劇場に「繋がる劇場」「育む劇場」「体験する劇場」という3つのコンセプトを掲げている。
津あけぼの座劇場紹介
の枠組みの中にあります。クリエーションチーム全体でクオリティの高い作品をつくると同時に、ゆうみさんの力もお借りしながらオーディションメンバーなどにとってスキルアップとなる充実した創作現場を提供します。そしてこの作品は京都と三重の協働によってつくられ、2つの地域で公演されます。これは多地域協働製作の大切な実績のひとつでもありますし、これまでの企画もふまえると、三重を発信源として多地域で上演する企画をそれぞれの地域のみなさんにとって身近に感じてもらえる次の一歩。良い作品をつくるために話し合い、どうやって作品をより良くしていくかを伝え、各地での公演でより多くの観客の皆さんに作品を味わってもらう。これらをひとつずつ丁寧に取り組んでいきたいですね。

-今回は三重・京都の2公演です。

広田:三重には始終おじゃましていますが、また違った形ですので、ちょっと緊張しますね。もちろん楽しみでもあります。鳴海さんはじめ三重の皆さんとの取組みを、まずは地元によい形でお届けできれば。
京都ではこのしたやみが拠点にしている西陣ファクトリーGardenで行います。西陣織の町工場の跡という、色のつよい、しかしたいへんおもしろい空間ですので、舞台美術も含めてたのしんでいただけるかなと思います。

鳴海:これまでも三重・京都の協働は、特にこのしたやみさんとの協働ですが、いくつか実施されてきました。車で90分くらいで行けるこの地域間の舞台交流12)津市と京都市は新名神高速道路の開通により近いまちとなった。今回のクリエーションも京都・三重での稽古を繰り返している。の可能性はまだまだありますよね。そしてクリエーションチームではゆうみさん以外は三重人13)今回の「葉桜」クリエーションでは、市民の公募からキャスト・スタッフを選出。高校3年生から一般人までの合計5名が作業を行っている。ですから、京都で公演するのはきっと気合が入るでしょうし、それが自信にもつながる。私自身も演出作品を京都で上演するのは2度目ですので楽しみです。

-さらに多くの町でも上演できるといいですね

広田:いいですね。いろいろなところで観ていただける作品にしたいです。金沢で言っていた『命を弄ぶ男ふたり』と二本立てなんてどうでしょう。岸田二人芝居まつり。

鳴海:戯曲上の舞台設定は6畳間なんですが、私たちの「葉桜」は7.5畳。このサイズ感だと上演できる場所はかなりありますよね(笑)この母娘そして二人の女性の正午のスケッチには、今でも十二分に生きている大切なモチーフが描かれています。いろいろな地域での女性、そして男性にも終演後に感想を聞いてみたいです。

-最後に一言お願いいたします。

広田:母と娘の「日常」、その言葉から想像できるものだけでなく、それをふと振り返るような、とらえにくい、しかし確かにそこにある、何かの手ざわりのようなものがお届けできたら。
三重と京都、様々な背景をもつ人々の共同作業という座組みを生かして、豊かな作品にいたしたく、精進いたします。ぜひ足をお運びくださいませ。

鳴海:稽古中、ゆうみさんの母役を観ていると柔らかくもあり、ふとした瞬間に「母親」と重なる不思議さがあります。そして別の瞬間には、目の前のもうひとりの女=娘への強さと脆さを感じます。そのゆうみさんと対峙する若き女優も文字通り体当たりで毎回進化しています。舞台空間も、通常の舞台ではあまり見られない美術になっています。ある意味、舞台としてタブーなものがあります(笑)クリエーションチーム一丸となって創作し、良い作品をお届けしますので、ぜひ劇場にお越しください。そして、大正時代から現在に通じる母と娘の風景への感想を聞かせてください。

-ありがとうございました

撮影:山中秀一(特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ)
構成:油田晃(特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ)