8月5日、6日に三重県文化会館で上演する親子向けのお芝居「とおのもののけやしき」。作・演出をつとめる三重県鈴鹿市出身の岩崎正裕さんにお話を伺いました。
―今回上演する「とおのもののけやしき」。以前、岩崎さんが脚本・演出を担当された「どくりつ こどもの国」という作品がありましたけど、親子向けで作られるのは2作目?
岩崎:そうなんです。2作目。
―この作品を作ることになったキッカケを教えてください。
岩崎:「どくりつ こどもの国」の時もそうなんですけど、公立ホール館ってなんていうのかな、演劇を普及していかなきゃいけないんだけど、一般向けの演劇だけを作っていても演劇の普及なんてできない訳で、当然、ま、未来を担っていく子どもへの作品っていうのは、作り続けるような、ま、ある種の素地というか、土壌を持った方が良いと。
で、「どくりつ こどもの国」をやって、随分時間が経っているので、第2弾をやりたいなあという話になったんですけど、きっかけはねえ、アイホールの館長と企画ミーティングをやるんですけど、「夏だから、怪談とかどうだろう?子ども大好きだし」みたいな話になって、で、一方では僕は演劇も大好きなんだけど、夜寝るときに割と怪談とか読むの大好きで(笑)、うん、怪談だったらやりたいやりたいっていう話から始まったっていうのが、子どものためのお芝居であるところの「とおのもののけやしき」のきっかけではあるんですね。
―ただ、怪談にしてしまうと本当に子どもが劇場にやってきて泣いてしまうと言うか(笑)
岩崎:そうそう、だって本当に恐がらせちゃったら、子どもは(劇場に)来ないじゃないですか?そのさじ加減が難しいんだよね。だから怪談っていうのは、一つのコンセプトではあるけど、もう一方で、別のテーマ性というか、コンセプトがないと、作品としては後味の悪いモノになっちゃうし、普及どころか子どもたちが嫌がるものになっちゃったらダメだというところでもってきたのが、「幽霊は怖いけど、妖怪は面白いんじゃないか」と。ね、いわゆる「もののけ」ですよね。何かが形を変えて化けているというコンセプト。
そこで考えたのが、「昭和の道具たち」ですよね。うん、その百鬼夜行もそうだけども、モノが人間の形に姿を変えるっていうのが古くからいろいろ絵に描かれていたりするんで、そのテイストでもって、昭和の道具たちが形を変えて、でも、昭和の道具たちは今の子どもたちにとっては出会ったことのない道具というのが大半ですよね。
三重もそうだけど、僕ら小さいとき、あの納屋とか蔵とかに農耕具とかあって、その薄暗がりの中の農耕具とか道具とかって非常に怖かった訳ですよ。
ところが平成の子どもたちはそういうモノとの出会いがもちろんない訳ですから、「そこを怪談仕立てにしたら意外と面白いモノができるんじゃないのかな?」っていうのが、ステップ1です。そんなところから始まったんです。
―タイトルの「とおのもののけやしき」というのを聞いた時に、「遠野物語」というのが浮かんで、「とおの=10のナゾ」が出てくる話だと分かりました、これは?
岩崎:柳田国男の「遠野物語」っていうのは、愛読書の一つではあるんですよね。で、唐突な短いお話しが多いんですよ。因果関係がないものが。
あれがねえ怪談として、怪談というか人々の、口伝ですよね、だから、伝えられてきているモノだからすごく面白い、だから元々の発想は、やっぱり「遠野物語」になるんですよ。
あそこにもいろいろ「山男」の話とか、それこそ座敷わらしの話とかいっぱいあるんで、ある種の日本の民俗学の原風景みたいなところがあるんで、それを取り込んで、化けたモノに対して、10個回答ができたら、子どもたちが蔵から出られる。いわゆる脱出ゲーム的な面白さもゲームとして加えながら構成したらと。
―舞台上には様々な昭和の道具たちが登場して、その道具の使い方がナゾとして提出されます。
岩崎:昭和の道具も電化製品も交えてやれるから、そういうものを取り混ぜながら行くと、意外と世代間の対話が作れるんじゃないかっていうね、おじいちゃんおばあちゃんと孫の対話が例えばその、お芝居を観た後の晩ご飯の席で「これ知ってるか?あれ知ってるか」っていう話になったり、またもう一つは、お芝居を観ている時に一応はマナーとしてしゃべっちゃいけないことにはなってはいるんだけど、その時はボソボソしゃべってくれていてもいいよって、それくらいの強度でお芝居作れないかなっていうのはあったんですよね。
その劇場のマナーっていうのはもう少し高学年になってから身につければいいので、小さいとき、幼稚園・小学1,2年生くらいだったらやっぱり喋りたいという衝動をね、押し殺すんじゃなくて親に「あれな~に?」「知ってるけど、だまって」みたいな会話が劇場であるのがすごく豊かではないかと。ま、実際そういう場面が劇を上演している最中もあったんで、なんか、子ども達より親の方が面白がって、ある種の充実感を持って帰られる方も多かったんですよね。
―後半にはおばあちゃんが登場します。
岩崎:あのおばあちゃんが言っていることはね、大体、三重県鈴鹿市の(笑)、僕のおばあちゃんをモデルに(笑)してますね。
ま、おばあちゃんの話っていうのは、ありがたいし未だに沁みて残っているというのが多くて、そのおかげである種、道を外さずにやれているようなところはある。
―でも、あのおばあちゃんも妖怪という設定なんですよね。
岩崎:一応ね。納戸婆(なんどばばあ)ですよね。なんでもない妖怪なんですよ。納戸を開けたらいるっていうだけの、「ほう!」って言うだけの妖怪なんだよね、うん。でも、それが子どもたちがあそこの蔵に来るきっかけになる亡くなったおばあちゃんっていう設定なので、やっぱり僕のおばあちゃんがモデルかな、あんな風に腰が曲がっていて、いちいちありがたいこと言ってくれるみたいな。あと、おばあちゃんって子どもの食事をすごく心配するじゃないですか?ね。
―いきなり最初、おにぎりを。
岩崎:与えますよね。そうそうそう、あれも何かある種その一つ離れた世代が、子どもの食べる心配ばっかりするというのは戦争挟んでやっぱりあることだと思うし、それがまた子どもにとっては、一番情が伝わるというか、そういう瞬間だったり、やっぱりそこには戦争という記憶も入ってきて、今の子どもたちはモノにあふれている中でやっているけど、かつて大事にされた道具達もそこに居た人達にどう使われたかというのを伝えられる場というのかな、そういう劇になっていると言うことですよね。
―実際、道具はどう調達したんですか?
岩崎:道具に関しては、まず伊丹のいわゆる民俗学的なモノを収蔵している博物館があるんですよ、伊丹の博物館ですけど、そこでまず、倉庫をね、蔵ざらえのように見せてもらった。
―全部?
岩崎:うん。だから、舞台の一部は伊丹市の収蔵品です。博物館の。そして、もう一つ、(脚本を)書いたモノをどうしても舞台にあげるには、博物館のモノってやっぱり昭和のモノって大事に保管されているから実際に使えるモノっていうのは、そう沢山あった訳ではないんですよ。その時に機能したのが、三重県出身、劇団太陽族の演出助手をやっている中西由宇佳ってのがおるんですよ。中西ん家がね、残してたんですよ。全部!だからあそこに出てくる唐箕(とうみ)とかね、あれはね中西家のモノなんですよ。
―多くは三重のモノなんですね。
岩崎:三重のモノ。だから今回もあのまんま中西家に保管をしてますから、三重の農耕具として使われたモノがそのまま、
―全国を回る?
岩崎:まわるの(笑)。そういう仕掛けになっています。はい。あの子は松阪ですけど、実際に松阪で使われた昭和の農耕具が、相当数あの中に入っている、それが全国を回る。
岩崎:千歯扱き(せんばこき)と、唐箕と…千歯扱きに関しては小道具として作ったんですよね、ところが、あのね今回のネットワーク(公共ホール演劇ネットワーク事業)で鳥取が千歯扱きの名産地だってことが分かったんですよ。あれね、小道具に見えちゃうの。鳥取でやるときは。だから今、鳥取で千歯扱きを全国ツアー用にお貸し下さいと交渉している所です。うん。
岩崎:お話しのイメージは、おばあちゃんが関西弁しゃべるでしょ、だから関西地区へ来ている、どっか他の地域の子どもたちっていうイメージになっていますよね。世代をどうつなぐかっていうのがどの地域も課題だと思うんですよね。やっぱり伝わらないモノは伝わらないし、もう断絶しちゃうから、それをお芝居を一つの材料にして頂いて、で、まあ、親戚なり家族なりが、新しい話題の場を提供するというのが大きいコンセプトですよね。だから見終わったって、そんなに恐がって帰る子はいないし、ロビーで子どもたちが言うのは、子どもたちは強がりだから「全然怖くなかった」とか言って帰るのは、「そうねえ、ごめんねえ」とか言ってはいるんだけど、しめしめと思っているみたいな、そういう感覚はありますよね。
―鬼が登場するところは、緊迫感がありますよね、客席にも。
岩崎:あるあるある。あのね、鬼の登場に関しては確かに怖い。あそこ一番怖いシーンだと思う。でも、出てきた鬼は、すごいお人好しでしょ(笑)。なので、いろんなもののけが出てきますけど、鬼はね人気一番ですよ。ただ、もののけを演じている宮川サキの早替えは半端ないですよ、3つ演じますけど。楽屋に戻っちゃ、着替え、メイクもし直しっていう、あの段階は大変ですね。
―俳優のお話になりますが、出演の2人は三重とも縁があるというか、宮川サキさんと藤本陽子さんは津あけぼの座で2人芝居を上演したり、藤本陽子さんは最強の一人芝居フェスティバル「INDEPENDENT」で三重県文化会館に出演していたりと、宮川サキさんは一人芝居も津あけぼの座で上演されてます。2人を知っているお客さまも多いですよね。
岩崎:だから、すっごく三重でやるの楽しみにしているし、三重が決まって一番喜んだのは、あの子達かな。いやいや、もちろん、僕も嬉しいんですけど(笑)
―宮川さんにああいうもののけを演じさせようと思ったのは、一人芝居をやられているからとかあったんですか?
岩崎:ありますね。だから役の演じ分けを、ま、一人芝居のスキルでもって出来るって言ったら宮川サキをおいて他には考えられないっていう風に思いました。あの子だったらやってくれるだろうと。で、(彼女の演じる)おばあちゃんがいいんですよね、宮川サキのね。やっぱりそれを落としどころに持ってきたいというのがあったから、キャスティングで宮川サキというのは、もともとお話しを考えるコンセプトとしてありました。
―ストーリーは小学生の兄妹が、蔵の中でナゾを解いていく一方で、その両親がどうも不仲だと言うのが分かり、少しずつ進行していきますよね。
岩崎:子どもにとっては親のケンカや不仲って相当堪えるみたいで、それは僕自身にも経験があるけど、奥さんがこれを読まないことを祈っているんだけど(笑)、親同士、やっぱり譲れないところは譲れない。話し合いだけど、ちょっと語気が強くなると、うちの子どもたちが小さいときは「お父さん、早く謝りなさい」って僕にやっぱり言ってくる。その不仲が相当堪えるんだと思うんだよね。だからあの2人の兄妹も、それを体験している訳ですね、親が本当に自分たちの所に戻ってきてくれるのかどうかって言う時にこそ、もののけがあらわれる。だからそういう異世界を作るためには「幸せな子達」だけでは無理なんですよ。
―不安を抱えている。
岩崎:不安を抱えている。怪談の背景には必ず不安があると思うんですよ。
―昨年もこの作品は上演されて、今年、三重も含めて全国を回りますが,初演から何か変更点とかは?
岩崎:役者達とも会って、打ち合わせはしたんですけども、「前のモノを守ろうという考え方はやめよう」って、だから一ヶ月近くは稽古しっかりしますから、その場で発展させることはしっかりさせましょう。
だから「前回何でこうだったんだろう?」「こうしなきゃいけない」みたいなことは一切いらないというのと、一つだけあるのは、(作品が)70分くらいあるのかな、終わってお辞儀するだけというのが子どものための親子のための演劇としてはちょっと淋しいというのがあったんで、歌、カーテンコールで歌を、「どくりつ こどもの国」でお世話になった橋本剛さんに依頼して、「とおのもののけやしき」の最後にふさわしい歌を唄って。
で、幸い藤本陽子さんはねえ、歌もお上手らしいんだよねえ、だから、藤本陽子ちゃんが歌をうたう、少しダンスもある、そこでなんかね、子どもたちをふわっと盛り上げて、劇場の外に出てもらうという瞬間をつくった方が、ファミリー向けとしてはいいんだろうなと思って、最後は音楽を入れたいなというのが大きな変更と思っています。
―三重以外にもいろんな地域を巡回する公演ですね。
岩崎:この作品はなんというか、地域性というか、中央以外はみんな田舎だから、あのおばあちゃんみたいな蔵が、イメージ=原風景がどこでもあると思うんだよね。そういう意味では、通用するというか、どこの地域の親と子どもにも観てもらいたいという感覚はあるなあ。でも、僕が見た田舎は三重だから、特に三重の人には見てもらいたいと思いますよ、うん。(芝居を)作っているときは、新幹線乗っても、いろんな地域で在来線乗っても、「ああ蔵がある!蔵が」と窓からそればっかりだったよね(笑)、蔵がやたら気になるみたいな。
―岩崎さんというと劇世界に現代のこの国が抱える社会性が織り込まれます。「どくりつ こどもの国」でもそうでしたが、今回の「とおのもののけやしき」はどうでしょう?
岩崎:自分の中ではいつも書くのと全く変わらないですね。(観劇する)年齢層が下がるとこういうプレゼンテーションの仕方になるよというのをやっているだけで、実は昭和の道具と今の子どもたちがある種乖離しているよねっていうのも社会的な視点だし、あのおばあちゃん、当然戦争をへだてている訳で、まあいなくなった夫なりなんなりが、実際に出ている兄とそっくりであるとか、だからある種その、昭和から平成に繋がる時代批評の作品でもあると思ってるから、(社会性を)薄めて書いたというつもりは全くないですね。子どもたちが今気付かないかもしれないけれど、あの作品を観たことが、ある種の昭和という時代を見たことになればなという願いもある。だからいつもやってる作業とおんなじ。
―最後になりますが、三重のみなさまに一言お願いいたします。
岩崎:僕は三重で生まれて、三重の納屋とか蔵の中に対する感覚とかがこの作品を生み出しているので、(今回ツアーで巡演する場所で)もちろんいろんな被災地やあの悲惨な戦争を味わった地域もあるんだけど、僕は僕の感覚において、三重の子どもたちに一番見て欲しいという感覚が一番あるんです。僕が味わった幼少期がもっとも色濃く出ているのがこの作品「とおのもののけやしき」、おばあちゃんのことも話しましたけど、だから、親近感・親和性を持ってその作品を見てもらったらいいかなと思っています。
文・油田晃 舞台写真・井上大志(LeoLabo) 2015年アイホール