三重とのつながりも3年目となる長崎の劇団F’s Company。2017年劇団旗揚げ20周年を迎え、2018年1月に四天王寺スクエアで「けしてきえないひ」を上演される主宰の福田修志さんにお話を伺いました。
―F’s Companyはこれまでの三重公演は「マチクイの諷(うた)」(2014年8月三重県文化会館)、「いきばなし」(2017年2月津あけぼの座)と上演を経て今回で上演は3回目、そして三重の秋の風物詩、お料理とリーディング公演を楽しんで頂くM-PADにも2015年からご登場されています。三重の印象はいかがでしょうか?
福田:そうですね、もちろん津に住んでいる方が集まってくれているということだけじゃなくて、その近郊の方々も来るような町なんだなと思ってびっくりしています。お客さんの雰囲気も温かいですしいろんな方々がお芝居を見ることができている環境を非常に羨ましく思います。
―今回の作品はF’s Companyの代表作「マチクイの諷(うた)」とは、また違うテイストだとか?
福田:隠れた名作と言われているんですけど、長崎弁も入りつつ、ある島のお話なんですね。島の雰囲気を感じられる、海の感じというか、なんか陸とはちょっと離れたところで起きている物語でありますし、その島の中で習わしみたいなものがあるよね、こういうのが残ってるところあるよねというのを描いた作品だと思います。
―2002年がこの作品の初演なので、今から15年ほど前。これを書こうと思ったきっかけは何だったんですか?
福田:旗揚げから5年くらいまでは、僕が描く作品って、抽象劇というかあっちこっち飛ぶ話が多かったんですね。1本のお芝居が場所を動かさずに物語が動いていくものではなくて。で、それだと「わからない」というお客さんが多くて、「じゃ、分かるやつ書いてみるよ」って書いたのがこれで。題材としては、古い風習とかに縛られていることに対してすごく憤りみたいなのが当時あって、何なんだろうねこういうのってという。書き始めの初動としてはそんな感じだったと思います。
海の神さまのお話で、海の神さまを調べたら海幸彦(うみさちひこ)って神さまがいると、山幸彦・海幸彦って出てくるじゃないですか、日本神話に。で、その海幸彦が別名火照命(ホデリノミコト)っていうんですね。で、そこから海の大漁祈願を願った仕事として火照(ホテリ)という仕事を拵えて、それがずっと続いているという話を書いてみようというところが最初なんですよね。
―初演の反応ってどうだったんですか?劇団としては転換点になりましたか?
福田:一気に「わかりやすい」って言われました(笑)。うちの劇団にとっては分岐点になったかなと。長崎弁で書いたのもこれが初めてだったのでいろんな意味でも転換点になる作品だったと思います。
―地域で活動している劇団にとってその地元の言葉を使うことはどうお考えですか?
福田:地元に長く住んでる人が現代の長崎弁の口語劇を描くということにとても意味がある、そういう言語を残していくのが演劇の務めなんじゃないか役割じゃないかということにだんだん気付いたと思います。役者もやっぱり演じる上で母国語の方が感情が乗りやすいんですよね。
―戯曲としては15年ほど前の作品ですが、書き換えなどは?
福田:何回か再演をしてきているんで、その度に書き換えをしていて、これは三姉妹が出てくるお話なんですけど、三姉妹の叔母さんというのが出てくるんです。今回は三姉妹の叔母さんの旦那さんの伯父さんが出てくるという大きな書き換えをしました。伯父さん役は、「マチクイの諷」にも出演して頂いた田中がんさんにお願いして、62、3歳くらいのしっかりとした役者さんなので、言葉の重さだったり、抱えているモノが重い。なので、結果的には良かったかなあってすごく思ってます。女性の立場で、叔母役が三姉妹たちに言う言葉と、一歩離れた男性の伯父さんの立場から「こうだぞ、こうじゃなきゃダメなんだ」っていう強さだったりというものが、なんか親戚というだけじゃなくて仕事をかかえたりしているという部分も出てきたので、なんかすごくよかったなという風に思いますね。戯曲自体も15年前のをもとにしているんでいろいろと書き換えようかなと思った所もあったんですけども、あえて残している部分というのもあるし、そういうのも楽しめるかなあって思ってますね。
―今回の「けしてきえないひ」は既に7月に上演が行われていて、1月が三重、2月に大分となっていますが、7月の公演はどうでしたか?
福田:いや、よかったですよ。「劇団結成20周年らしい作品ですね」と。F’s Companyとしてはいろいろな公演はやってきているんですけど、「ああ、これがF’s Companyだね」というような作品だなと。
―今回は音楽を橋本剛さん1)※1橋本剛・・・作曲家・愛知教育大学准教授。演劇作品などの作曲で知られる。F’s Companyのほか、劇団太陽族などでも作曲を手掛ける。が担当するじゃないですか、これは?
福田:橋本さんとはずっと古い付き合いがあって、曲をちょいちょいお願いしていたんですけど、まあ20周年だし、これまで「けしてきえないひ」では、殆ど既成の曲を使っていたから、せっかくだから橋本さんにお願いしましたね。本当にね、橋本さんとは古い付き合いなんですよ、高校の先輩なんで。
―F’s Companyは劇団結成20周年ですが、改めて20年を振り返って。
福田:6年、7年やってきたときに「劇団どうするよ?」という話になったんですね。なった時に、3つの目標が達成されなかったらやめようと、劇団はなくなっても演劇は続けることはできるよねと。
1コは僕がなんか賞を取る、もう1コは年間2000人くらいのお客さまを迎える、もう1コが当時あったリージョナルシアターに選ばれる。この3つのうちのどれか一つが果たせたら劇団を続けようと。
そしたら、リージョナルシアターで選ばれちゃって(笑)、選ばれちゃったよ、続けようかみたいな。
10周年は早かったかな。10年超えると、宝町ポケットシアターが稽古場として運用するようになったり、じゃあここを維持するにはこういう公演しなきゃなとか、段々劇団の形プラスアルファみたいなことが増えてきて、そっちの時間の方が長いですね。最初の10年はあっという間だったんですけど、そこから先の10年の方が長かったなという感じがします。公演数が圧倒的に増えたので。
―やっぱり拠点であるこの宝町ポケットシアター2)※2宝町ポケットシアター・・・F’s Companyが長崎市で運営する拠点施設。があるというのが大きいですか?
福田:大きいと思いますね。
―ここまでやれたのはなぜだと思いますか?都市部で20年演劇活動をやり続けるというのと、地域でやり続けるのは事情が違うと思うんですよ。
福田:やっぱりどうしても生活の面で、苦しくなってというか事情により演劇をやめるとかあったんで、演劇でもらえるお金が増えていくというのをまあ割と早い段階から目指してきたんですよね。それを考えながらいろんなことに投資をしていってようやく段々実を結んできているという感じですね。だから本当にお金にならないことからどんどんやったり、未だにもらってないギャランティーがあったり(笑)、いろんなことがありますけど、まあでも一番は役者達がついてきてくれたことじゃないですかね。劇団員が一番ですね。なんかいろいろありながらずっと来てくれている所が大きいかなあ。僕も自分の中で「自分が好きなことにつきあわせている」と思っていた時期があって、それは申し訳ないなと役者に対して思っていたんですよ、なんかこんなしんどいことにつきあわせてごめんねみたいなことを、うちの副代表の篠崎に言ったら、「あんたバカじゃないの?あたしは好きでやってんだからあんたがそんなこと思う必要ないよ」って言われてちょっと肩の荷が下りたというか、あそうなんだって。それでもやっぱりしんどいですから、みんなよくやってくれてるなあって、ありがとうございますっていう感じで(笑)。
―次は30年目指すんですか?
福田:30年行きますよ。昔はね、F’s Companyを誰かの手に委ねてぶっ潰すというのが目的だったんですけど、それもなくはないんですけど、もうちょっと頑張らないとそれはムリかなあって思うんで、ひとまずは、長崎の文化的なものを取り上げつつ、外に繋がっていく。でも、そこは変わらないかもしれない。昔から「長崎に娯楽を作る」というのは変わらないので、まあもうちょっと頑張っていこうかなあとは思います。
―最後に一言お願いいたします。
福田:今回「けしてきえないひ」という作品は「島がある街」に上演しに行こうという企画で作っている作品なので、島をかかえている県、三重・長崎・大分の中で、自分らとちょっと遠い距離にあるような人たちに思えるけど、その中で起きている出来事みたいなものは自分たちのことに何か置き換える部分があったりだとか考える所があったりだとか、楽しめることが沢山あると思います。是非是非そういうものを楽しみに来て下さい。あと、劇場では20周年記念誌をプレゼントしますので会場に来て下さい(笑)。
舞台写真:「けしてきえないひ」(2017)
取材・文:油田晃