はしぐちしん 身近な演劇を創造すること

三重とはしぐちさんのつながり

-はしぐちしんさんというと、関西を中心に活躍している俳優であり、脚本家・演出家というのはもちろんなんですが、僕や多くの東海圏の人には劇団ジャブジャブサーキット1)1985年岐阜大学OBを中心に旗揚げ。91年から東京、97年から大阪でそれぞれ定期公演を始め、以来三大都市巡業スタイルに。観客との想像力共有を信じ、細かい会話研究を武器に、演劇に残されたリアリティと知的エンターテイメントを追求している。三重県ではトリプル3に登場。代表ははせひろいちさん。
劇団ジャブジャブサーキット
に「ずーっと客演している人(笑)」というイメージがあるんですよ

はしぐち:ジャブジャブサーキットへの出演は2002年の「しるくさんど」2)劇団ジャブジャブサーキットの第37回公演として2002年5月~7月に名古屋・伊丹・東京で上演。名古屋公演は第2回愛知県芸術劇場演劇フェスティバルの中で上演された。と言う作品が初めてなんですが、はせさんとの出会いはその2・3年前だったかなぁ。大阪のウイングフィールドではせさんの書き下ろしで「仮説『I』を棄却するマリコ」3)off-Hプロデュースとして大阪ウイングフィールドで2001年に上演。脚本は、はせひろいちさん、演出は桃園会の深津篤史さんが務め、はしぐちさんは出演した。って芝居をやってます。off-Hプロデュースって言うプロデュース公演、3人芝居で、演出は桃園会の深津篤史さん。共演者にオイスターズの平塚くんもいました。

-ほお

はしぐち:やってみて、面白くて、その後数本ジャブジャブサーキットのお芝居観て、やっぱ面白くて、出てみたいなぁと思うようになって、で「出して下さい」ってお願いしたと思います。10年以上前なんで、ちょっと記憶があやふやですけど(笑)。それから年に一本のペースで現在に至るって感じです。あ、でも出演してない年もありますし、ダブルキャストの片方って時もありますよ。

-三重にご登場したのは、三重県文化会館さんの企画「トリプル3」4)東海・関西エリアの3つの劇団と3つの公共ホールが3年かけて取り組む演劇プロジェクトとして、2010年から2012年の3年にわたって開催。劇団ジャブジャブサーキット・劇団太陽族・南河内万歳一座の3劇団が、富田林・すばるホール、三重県文化会館・長久手市文化の家と3つの公共ホールで上演した。はしぐちさんは劇団ジャブジャブサーキット「やみぐも」に3年とも出演。
トリプル3
での劇団ジャブジャブサーキット公演「やみぐも」でしたか?

はしぐち:はい。

-トリプル3と言う企画は、三重に居る人をオーディションで選んで一緒に創るというものでしたが、実際やってみてどうだったんですか?

はしぐち:個人的には、前年と同じ戯曲で同じ役を相手役が変わってできることが楽しみでした。で、オーディション。オーディションってのは出会いの機会だと思うんですね。集団お見合いに近い感じ、ちょっと例えが良くないかもしれませんけど。良い出会いに巡りあいました。

-若い世代、学生や高校生が結構受かったんですよね。

はしぐち:そうそう。当時高校生だった二人にはとても刺激を受けました。昨年、高校演劇の県大会を観させてもらった時も感じた5)はしぐちさんは2013年の三重県高等学校演劇大会の審査員を務めた。はしぐちさんの主導で、上演後には各校別の講評がネットに掲載されるようになった。
三重県高等学校演劇連盟2013年第58回大会 
のですが、うらやましいなぁと、自分も高校生の時、演劇に出会いたかったなぁと。そう言う意味では三重の高校生は恵まれていますね。現代演劇の主流が地元で観られる環境が出来てる。後は自分たちでどう創っていくかが課題にはなると思います。卒業した後も演劇を続けていきたいと言う子は三重を離れていくのも現状かも知れませんが、演劇ってのは、やろうと思った時にやりたい人が集まれば、すぐ出来るものですからね。そういう人が三重に増えていくともっと豊かな演劇環境になって行くでしょうね。そのポテンシャルは秘めているように感じます。

コンブリ団が創るもの

-2010年にOMS戯曲賞を受賞した「ムイカ」6)2010年に第17回OMS戯曲賞を受賞した作品。「ムイカ」は広島に原爆が投下された昭和20年8月6日のこと。様々な場所に見立てながら繰り広げてゆくいくつかの断片は、8月6日の朝へとつながってゆく。2012年に「ムイカ 再び」として再演。の再演である、「ムイカ 再び」を拝見させて頂いたのですが(2012年3月~4月 ウイングフィールド)、はしぐちさんの前口上から始まって、なんだか落語みたいだなと思ってるウチに、話が始まってゆく(笑)。気づけばそれは、ムイカ=6日=8月6日の広島の原爆投下の話へと、なんだろう例えてみれば「あっちです」「こっちです」と俳優さんに誘導されている内に「えらいところに連れて来られちゃったな」みたいな感覚が僕にはあった。でも、「ヒロシマ」というものをどう見せるかと考えた時に、それはすごく斬新でしかも逃げずにやっているというのかな、それが面白くて。

はしぐち:口上から始まるスタイルは3回目の公演のころから取り入れてます。その頃はお芝居って必ず音楽が高まって客電が落ちて暗転してから始まってた。何でそうしなくちゃ行けないのかよく解ってなかったし、違うことしたいなと思って。落語も好きです。その3回目の公演の時は古典落語の「親子酒」7)古典落語の一つ。酒好きな親子による噺。江戸落語と上方落語では前半部分の演出が違う。をアレンジした口上でしたし、「ムイカ」の時は「黄金餅」8)古典落語の一つ。自分が死んでから財産が他人に渡るのが嫌な僧侶と、その財産を奪おうと企む男による噺。噺の中で出てくる道行きの言い立てを参考にしたとはしぐちさんは語る。のお寺への道順を参考にしました。

-「黄金餅」ですか?へええ

はしぐち:「ムイカ」は幼少時代の体験をそのまま描いたような戯曲ですね。幼稚園の年長の夏に親の転勤で広島に住むようになりまして、そこから大学で京都へ移るまでを広島ですごしました。広島に引っ越して来た時か、その翌年かに原爆資料館9)広島平和記念資料館のこと。
広島平和記念資料館
に親に連れて行ってもらったんですね、その時の恐怖が未だに忘れられなくて。記憶が曖昧なんですけど、自分で行きたいって言い出したと思うんです。子供心に原爆のきのこ雲はウルトラマンが怪獣をやっつける時と同じだったんですね。ウルトラマンを見る感覚で原爆資料館へ行ったんです。もちろん、現実はそうじゃない。資料館の蝋人形の展示を見て、もう怖くて怖くて。今は少しソフトになったと聞いてますが、当時はそりゃまあリアルで。しばらくは、いや、かなり大人になるまで夢に出てきますし、その影響で夏に上空に飛行機が飛んでるのをみるとB29じゃないかと疑ってしまうほどでした。

-なるほどなあ

はしぐち:広島という土地柄は、平和教育が熱心なため、夏になると小学校の図書館へ向かう廊下に被爆写真が掲示されてました。それが怖くて図書館へ行けなくなったりもしましたね。でも、それがあったから戦争はいけないって今、ちゃんと言えるようになってると思うんですね。恐怖って、知らないから怖いんだと思うんです。原爆について、戦争について知らないから怖かった。だから成長するに連れて少しずつ調べて、知って、少し克服できた部分があるから「ムイカ」は書けたのかも知れません。未だに原爆資料館には入れませんけど(笑)。

-でも、原爆を書こうとしたんですね(笑)

はしぐち:身内や親戚に被爆者がいないのに原爆のことを書くのにはためらいがあったんですけど、たまたまこうの史代さんの漫画に出会って、同世代の作家がちゃんと向き合って作品をつくっているのに感銘を受けて「あ、書いてもいいんだな」って思えるようになりました。
「ムイカ」もそうですが、最近のコンブリ団の作品は私戯曲だと思っています。物語を紡ぐというよりは、僕、はしぐちの目に写る世界の断片を立体化させていくような作品です。

-コンブリ団に出演する女優さんはみんな巧いんですよね。この間の読み会で漱石の「草枕」をはしぐちさんと読まれた佐藤あいさんとか、津あけぼの座でもご出演になったことのある豊島由香さんとか、巧いのよね。

はしぐち:巧いかどうかは解んないです。あ、俳優たちに怒られるかも知れませんが。(笑)
俳優たちにはフラットな自然な演技を求めています。フラットってのははせひろいちの受け売りですけど(笑)、自分にうっとりしちゃってる俳優はあまり好きじゃないですね。無理に創って別の何かを演じなくても良いと思います、俳優その人自身が唯一無二の存在なので。

-この間、うちの芸術監督に就任した鳴海さん10)鳴海康平さん。第七劇場主宰・演出家。2014年より特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえが運営する津あけぼの座 津あけぼの座スクエア テアトル・ドゥ・ベルヴィルの3館の芸術監督に就任。と話していたんですが、演劇を上演する空間、劇空間と呼ぶと安っぽくなるんですけど、そこを繊細にはしぐちさんの紡ぎ出すセリフで創り出している気がするんですが、セリフへのこだわりとかあるんですか?

はしぐち:こだわりってのはあまりないです。でも、これは僕も俳優なので思うことなんですけど、会話の際は、自分の台詞は相手役の為にあると思うんです。相手が次の台詞を発するためには自分はどうすれば良いかを考えることが役作りじゃないのかなと思ってます。なので、戯曲に書いてある通りに言う必要は全くないです。現場では俳優たちにどんどんアレンジしてもらってます。それとは別に戯曲の中には情報のセリフもあります。引用だったりすることが多いのですが、例えば、法律の条文だったり、こういうのは正確に言ってもらうようにお願いしますね。

-実際、俳優さんとどういう作業、稽古をするんですか?

はしぐち:さっき話した、セリフのアレンジを上手く成立させる作業ですかね。俳優の誤読もあるんですけど、立体化させると誤読の方がおもしろく見える時もあるんですよ。演劇はお客さんの想像力に頼る部分が大きいので、より多面的に見えるように、お客さんの想像力を刺激できるように、誤読も含め俳優たちの想像力を上手く作品に取り込めると、どんどん面白くなっていきますね。それと、身体の動きとセリフの分離ですかね。身体の動きに合わせてセリフを憶えると、確かに憶えやすいんです。でも、そうするとどうしても一人よがりな演技になりがちなんですね。相手役を見れなくなってしまう。必要なのは相手役との距離感や関係性。これが個々の俳優の中できっちりイメージできるように稽古をしています。
まあでも、何回稽古しても、幕があがってお客さんを目の前にすると、稽古した通りにはいきません。セリフや身体の動きなんてものは、それくらい危ういもんなんです。だからこそイメージが大切になる。俳優がちゃんとイメージを持っていれば、セリフを間違おうが、段取りを間違おうが、自然と俳優の身体からにじみ出て、お客さんに伝わると思ってます。

コンブリ団 新作「ガイドブック」

-今回いよいよ新作「ガイドブック」で津あけぼの座にご登場、三重でコンブリ団が公演するのは初めてになりますが、どんなお話ですか?

はしぐち:どんなお話と問われると、いつも困るんですよね(笑)。物語と言うよりはイメージの断片です。タイトルの「ガイドブック」は90年代後半、サラエボで書かれた「サラエボ旅行案内」という本から着想を得てます。この本はタイトルに旅行案内となってますけど、当時戦争状態だったサラエボの現状を伝える本なんですね。あ、だからと言ってサラエボの話でもないんですよ。
チラシの裏に書いた文章が一番しっくりくるかなぁ。境界と境界線、こっちとあっちを隔てるものの話と言えば良いでしょうか、うーん・・・この質問、ホント難しいです・・・

-既に行われた大阪公演は、カフェでの上演でした。今度の津あけぼの座はいわゆるブラックボックスですけども・・

はしぐち:演出として、この劇場で何をしたら面白いだろうなって考えるので、同じ作品を違う劇場で上演できることはとても楽しい作業ですね。劇場によって作品が変容して行くことを楽しみにしてます。

-見所はどんなところになりますか?

はしぐち:個性豊かな俳優たちの共演です。はしぐちが戯曲で書いた個人的な世界観をそれぞれの俳優たちが自分の世界観に取り込んで、とても多面的な劇空間が立上がります。

-最後に三重の皆様にひとこと

はしぐち:劇場へ足を運ぶことは、とても豊かなことだと思ってます。スケジュールを調整して、何日も前からチケットを予約して、当日は着ていく服を選んで、電車やバスの時間を調べて、観劇の前後に食事やお茶をするかもしれない。一日の多くの時間を割くことになります。簡単には手に入らないですけど、時間をかけただけ、心に深く残るのだと思います。
津という街には劇場があって、「本日開演」の垂れ幕がその劇場にかかってます。
劇場でお会いできることを楽しみにしております。

撮影:山中秀一(特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ)
構成:油田晃(特定非営利活動法人パフォーミングアーツネットワークみえ)