京都を拠点とし、田辺剛が劇作・演出を手掛ける現代演劇ユニット下鴨車窓。作品ごとにカンパニーを新たに編成し、京都外での公演も積極的に行っている同ユニットは2020年年頭から、京都・広島・三重の三都市ツアーを行う。作品は、2014年に島根と神奈川の二拠点で活動する雲の劇団雨蛙の依頼により、現地で俳優オーディションを含む滞在制作を行った「scattered(deeply)」の再創造ヴァージョン「散乱マリン」。時代や場所を特定せず、虚実の狭間を縫うような独特の世界を舞台に立ち上げる田辺の脳内ワールドをひも解くべく、京都公演観劇後にインタビューを敢行した。
―撤去自転車の集積所と、開幕間近のビエンナーレ(2年に一度開催される芸術・美術祭)の野外展示会場。バラバラになった自転車の残骸を積み上げた小さな山と、他のパーツがあちこちに散らばる芝生スペースを二つの場所に見立て、自転車を引き取りに来た女性グループと美術家の一団が、それぞれ出会い・交錯しつつ、けれど意思の疎通はできないという奇妙な空間が「散乱マリン」の舞台です。登場人物が人でなく、獣に見えてくるなど場面ごとに漂う空気が変わる、非常に演劇的な作品だと思いました。
田辺 ありがとうございます。戯曲にはほぼ手を入れていませんが俳優は全員変わりましたし、劇場も初演とは全く違うので、京都での幕開きまでのクリエーションだけでも試行錯誤を楽しむことができました。僕の作品は、戯曲の段階から起承転結が明確にあるものが少なく、劇中で起こることの“原因と結果”がはっきりしないことが多い傾向があって。カッコイイ言い方をすれば隠喩や寓意にあふれているのですが、人によっては「わかりにくい」「不条理」と言われてしまうという自覚はしており、今作は特に、寓意性が強く前に出たものだと思います。
―初演は外部からの依頼による創作でしたが、作品の始まりはどこにあるのでしょうか?
田辺 寓意や不条理など言いましたが、事の発端はひどく日常的なことなんです(笑)。初演当時、今回の京都公演会場で、普段は稽古場としても使っているここ京都芸術センターの駐輪場で、僕自身が自転車を盗まれまして。盗難届けを出した後、不法駐輪の自転車を撤去したとの通知が来たんです。3000円の手数料と引き換えに取りに来いという理不尽なハガキに怒りを感じつつ(笑)、当時忙しさにまぎれたことと、家族会議で新たな自転車の購入が決まったことで引き取りに行かず、その自転車は期限切れで廃棄されてしまいました。その時の、行かずに終わった撤去自転車の集積場、そこに集められた無数の自転車や引き取る際の光景などを妄想する中で、「引き取る自転車がバラバラになっていたら驚くだろうな……」というイメージが湧き、戯曲の種になりました。
―発想の端緒は意外に現実的なのですね。
田辺 ええ、その「種」からさまざまな想 像がさらに引き出され、重なって 作品になっていきます。それは今作に限らないことですが、僕自身が盗難事件や自転車という「リアルなもの」に想像力を掻き立てられたような時間を、劇場にいらっしゃる方にも体験していただきたい、という気持ちが常にあるんです。先に言った“原因と結果”で、僕らは日常の出来事や問題の理解や解決などを図ろうとしがちですが、どんなに頑張ってもそこからこぼれ落ちるもの、言い表せないものがある。創作の過程でそれらに焦点を当て、つかまえたいという欲求が20代の頃から自分にはあり、それはいまだに変わりません。「寓意」はそのための、有効かつ強力な武器。バラバラになった自転車が積み重なった人の骨に見えたり、目的が違う二つの集団の小競り合いが動物の縄張り争いに見えるなども、自分の想像に「寓意」を利かせて膨らませた結果、生まれたイメージなんです。
―今作に連なる作品群の他にも、少人数の座組でツアーを行う前提の作品や、若い俳優のみ集めたドラマツルギーの強いもの、児童劇、実験性の高い公演など、田辺さんは実質ご自身一人での劇団活動にも関わらず、創作を幅広くバランス良く展開している印象があります。
田辺 あれこれやりたいだけなんですが、結果、バランスが取れているように見えるなら有難いです。30代の頃、以前から何かと目をかけて下さっていた松田正隆1)1962年長崎県生まれ。劇作家・演出家。1996年「海と日傘」で岸田國士戯曲賞、1997年「月の岬」で読売演劇大賞作品賞、1998年「夏の砂の上」で読売文学賞受賞。2003年より「マレビトの会」を結成し、既存の上演形式にとらわれない活動を展開。なお、彼の作品のひとつである2人芝居「蝶のやうな私の郷愁」がひなた旅行舎(九州出身の3人―永山智行・日髙啓介・多田香織によるユニット)によって、6月に三重県文化会館で上演される。さんの、マレビトの会での創作に演出助手として参加したことがありまして。一つは2008年、京都造形芸術大学の企画で、早逝した韓国系アメリカン人アーティストのテレサ・ハッキョン・チャのテキスト「ディクテ」の上演。続く2009年に山口情報芸術センター[YCAM]からの委嘱でつくられた、原爆投下から公園を中心に復興した都市・広島の記憶と記録を音声や映像、写真などを駆使して演劇化した「PARK CITY」。そして2010年にKYOTO EXPERIMENTとFESTVAL/TOKYOに参加した、広島とそこで被爆した韓国人移民の記憶を展示などを含む回遊型作品に仕上げた「HIROSHIMA-HAPCHEON:二つの都市をめぐる展覧会」です。
―どれも演劇より、現代美術に寄った感のある作品ですね。
田辺 当時の松田さんは演劇の創作と上演、両方の原型を崩す、振り切った作品をたて続けに発表していたんです。その時間と過程を間近で共有したことで、「“尖る”とはここまで行くことなのか。とすれば自分が前衛・先鋭と考えていたことなど及びもつかず、もっと本気で何をやりたいか考えなくては」と立ち返らせてもらえたところが僕にはあると思います。
―今作にはもう一つ、タイトルの「マリン」の部分、海にまつわるイメージも大切な要素になっています。
田辺 「バラバラになった自転車」というモティーフの先に僕の中で繋がったのが、2011年の東日本大震災のこと。地震と津波、その被害に衝撃を受けながらも、つくり手として自分がそのことにどう向き合えばよいのか、長くわからないままだったんです。でも今作を書き始めたことで、戯曲の前提となる光景と、“津波で深く海の底にさらわれて積もった膨大な物と人”というイメージが結びついた。その時、人は喪失を経験した際に、失ったものを取り戻し・復元したいという考えと、喪失を受け入れて弔い先へ進もうとする考え、両方があると思ったんです。自転車を喪失の象徴とすると、それを巡り、対照的な行動を取ろうとする二つの集団が対峙した時に何かが起こる。恐らく議論しても合意には達しない、その対峙の時間に、さらにドラマを加えるとしたら……という発想の展開により、動物の本能や暴力性という要素までを加味したことで、この戯曲の世界観が完成しました。
―圧倒的な喪失を前にしても変わらない、人間の愚かさや残酷さが、動物に重ねられることで際立つように感じました。
田辺 そうですね、あれだけの惨事があったにも関わらず、巷で犯罪が減ったとは耳にしませんし、この国も人も本質はきっと変わっていない。でも、起きたことや失った生命は確かにあったことで、それを忘れてはいけないという想いも、自分なりに作品に込めています。
―作品にはラスト、さらに「大きな飛躍」があり、観ている私自身も水や時間などの、大きなうねりに飲み込まれるような感覚に陥りました。
田辺 そう、この作品は、「既に失われた営みの束の間の再現」という言い方もできるかも知れません。僕、第二次世界大戦期のロシアで活動していた、オシップ・マンデリシュタームという詩人が好きなんです。特に好きな詩に、谷底に転がり落ちた石について書いたものがあって。どうして石がそこに落ちてきたのかは石しか知らないという大意なんですが、誰も知りようのないものに対して、どう想像の眼差しを向けるべきかという、僕のやりたいことが端的に書かれていると思った。それは僕の創作の原点にある発想で、「散乱マリン」はそこに忠実につくった作品。一人でも多くのお客様と、劇場でともに、自由に想像をめぐらせる時間が過ごせたらと思っています。
取材・文=尾上そら
写真=「散乱マリン」(2020)