東京デスロックが三重に初登場する。上演されるのは、韓国の第12言語演劇スタジオと共同制作した「カルメギ」。チェーホフの「かもめ」をベースに、1930年代の朝鮮を描き、初演時に韓国の東亜演劇賞で作品賞、演出賞ほかを受賞した話題作だ。4年ぶりの上演となる今回、改めて本作に込めた思いを演出・多田淳之介に聞く。
—東京デスロックは2009年に東京公演休止を宣言し、その後、全国各地で公演を行ってきました。しかし意外にも三重は、初めてなんですね。
多田:そうなんです。今回、三重県文化会館さんから「カルメギ」をやってくれないかというお話をいただいたのがきっかけで、「それならツアーも組んでみようか」と上演を決めました。もともとこの作品はいつかまた再演したいと思っていたんですが、やろうと思ってすぐにできる作品でもないので、三重から声をかけてもらわなかったら今回の上演はなかったと思います。
—twitterで多田さんは「さすがにオリジナルメンバーでの日本での再演は(今回が)最後かな」と書かれていました。
多田:初演から5年、再演から4年経っていますからね。俳優の年齢も上がっていますし…。それに、韓国と日本だと俳優のスケジュールを押さえるタイミングも違うので、今回も奇跡的にオリジナルメンバーが集まれたという感じなんです。
—本作の脚本を手がけられたのは、第12言語演劇スタジオのソン・ギウンさん。平田オリザ作品の翻訳や演出助手などもされ、日本と親交の深い、74年生まれの劇作家、演出家です。多田さんとは 2008年以来、共作を続けていらっしゃいますね。本作ではチェーホフの「かもめ」をベースに、舞台を1930年ごろの日帝時代の朝鮮に置き換えて、社会の渦に巻き込まれていく人々の姿を丁寧に描いています。
多田:韓国人としてのアイデンティティを考えるとき、日帝時代がギウンさんのキーポイントになっていて、これまでにも彼は日帝時代の話をいくつか書いているんです。彼には「いつか日本の俳優で日帝時代の話を上演したい」という思いがあって、僕も彼のオリジナル戯曲を演出したいと思っていたので、2013年にソウルのドゥサンアートセンタープロデュースで作品を作ることになった際に、本作をやりたいと思いました。
日本では古典をそのまま演出することが多いですが、韓国では“翻案”が割と主流で、時代設定も変えて“私たちの話”にしちゃうんです。ギウンさんも、「かもめ」以外に古典戯曲を日帝時代の話に翻案するアイデアをいくつも持っていました。当初は「三人姉妹」にする話もありました。2015年にキラリふじみと韓国の劇場との共同製作、ギウンさん翻案で、シェイクスピアの「テンペスト」をベースにした「颱風奇譚(たいふうきたん)」を上演したのですが、シェイクスピアに比べるとチェーホフは翻案するときに骨格や物語も残しやすくて、びっくりするほど自然な翻案になってると思います。
—初演時、本作は韓国の歴史ある賞・東亜演劇賞にて作品賞、演出賞、視聴覚デザイン賞を受賞し、高い評価を得ました。その後、2014年に福岡・横浜で再演され、今回が4年ぶり3度目の上演となります。今回はクリエーションにどのように臨まれますか?
多田:台本はそんなに変わらないと思いますが、4年の間にだいぶ社会が変わっていますよね。韓国は大統領が変わりましたし、日本でのK-POPの流行りも変わって、例えば今、KARAを流すと、すごく懐かしい感じがするじゃないですか(笑)? この4年での変化を感じられるようにはしたいですね。あとは韓国で稽古しながら、ギウンさんや俳優たちと考えていきます。
—本作は日韓共同制作作品としても注目を集めました。多田さんは2017年にAPAF-アジア舞台芸術人材育成部のディレクターに就任され、現在は韓国だけでなくアジアのさまざまな国とつながりを持っています。アジアという視点から考えたときに、日本と韓国の関係はどのように見えますか?
多田:アジア全体で考えると、日韓はご近所さんというか、歴史も含めローカリティが共有できる、すごく特殊な関係だと思います。その中で、「カルメギ」は植民地支配という、日韓だけではなく人類史の重要なテーマを扱っていますから、世界中の人達にとって価値のある作品だと思っています。今、国際共同製作「RE/PLAY Dance Edit」という作品でアジア各国を回っていますが、日本人が考えがちな「アジアのリーダーシップ」とか「アジアの価値観」とかちゃんちゃらおかしいなって感じます。アジアは多様なまま共存することに価値があると思ってます。今は都市化、近代化のスピードが国ごとに違って面白い。しかもアーティストは敏感なので、少し前まで都市の中心部で活動していた人が、今は川を浄化する運動をしながら川辺に劇場を作って活動していたり、環境やコミュニティを意識した活動をしている人が多いですね。舞台芸術のアーティストの活動で言えば日本よりも社会と密接です。もちろんそれぞれのローカリティがあっての活動ですが、アジアの国々から学ぶことはすごく多いです。
—日本とアジアという大きな視点から考えると、東京と三重の違いはあまり感じないのでしょうか?
多田:いや、それは解像度の問題なので、全然違いますよ。三重県文化会館でも全国の面白い演劇がかなり見られますが、それぞれの作品は時代や土地によって文脈があって、例えば国内でも長崎の人が作った原爆の話を、長崎の人と同じように自分は見ることはできない。でも自分とは違う文脈に出会えたことに意味があると思うし、そういうことを僕は面白いと思っていて、隣の人とも文脈は違いますから、個人、地域、国、色々なサイズの文脈の違いや共有できることに気づいてそれを楽しむのが醍醐味だと思います。
—その点で、「カルメギ」はデスロック作品の中でも特に間口が広い、普遍性を持った作品だと思います。
多田:そうだと思います!
—また2017年に上演された3本立て公演「Are You Happy?」を拝見して、演劇の可能性に挑戦し続ける多田演出のストイックさに改めて感銘を受けつつ、以前よりも表現がシンプルかつシャープになった印象を受けました。作品に対する多田さんの意識や創作方法に何か変化があったのでしょうか?
多田:そうですね。やはり外部演出では肩抜けるほどの剛球は投げにくいのもあります、ストライク取らないといけないので(笑)。ある程度劇団も経験を積んできて、身体も労わりながら投げないと長持ちしませんからね(笑)。時間のかけ方も、もちろん時間をかけて作りたい作品にはかけますが、バランスは考えるようになりましたね。
—近年はディレクターなど、プロデューサー的な役割も増えてきました。
多田:基本はどの仕事も同じだと思ってやっています。演出家ならなんでも演出できたほうがいいから、例えばレストランでもフェスでも、お客さんがある場所に来てどういう体験をするかをディレクションするということでは、作品を作ることと変わらないと思うので。40代にも入ると、さすがに二十歳の頃の衝動では続けられないんですけど、衝動自体がなくなるとそれこそやっていけないので、どんな形であれいかに衝動を抱ける現場を作っていくか、今はそれをすごく考えています。
取材・文:熊井玲