弦巻啓太 削ぎ落すことで生まれた「サウンズ・オブ・サイレンシーズ」

三重県文化会館と津あけぼの座が共同でオススメの演劇を招聘していく「Mゲキ×Aゲキ」。9月16日、17日に公演を行う、札幌の弦巻楽団(つるまきがくだん)主宰・弦巻啓太さんにお話を伺いました。

―弦巻さん、演劇との出会いからお伺いしてもいいですか?

弦巻:オーソドックスなんですけど小学生の時からちょっと目立ちたがり屋な子で、自分が出るのが好きだったんですね、舞台に。舞台に出るのが好きだったんですけど、中学生の時に、思春期でちょっと「そういうの恥ずかしいな」って思うようになった時に、「人を出した方が面白いぞ」「あいつにこんなことやらせよう、こいつにこんなことやらせよう」とか考えるようになって。中2の時に舞台を文化祭でやることになったんですね。たまたま委員長で、でもたまたま僕が居ないときに演目が決まっちゃって、それが「十五少年漂流記」で、先生に報告しに行ったら、「台本どうするんだ?」って言われて。中学生ってちょっとアホだから、どこかに台本とかあるって思ってたんですよ(笑)。「十五少年漂流記」なんてよく聞く作品だからどこかにあるんだろうと思って、「あ、どうするんすかねー」みたいな。自分はただの連絡役だと思ってたんで、そうやって言っていたら「しようがないからお前が原作を読んで書け」って言われて(笑)。で、原作をその日のうちに買って、読んでみて、「いや、ちょっとこれは地味すぎるな」と、真面目にコツコツ暮らす少年達の話だから、「これじゃドラマがないな」と。で、それを自分なりに面白おかしく脚色して書いて学校に持って行ったら先生が「お前が書いたんだから、お前が監督しろ」っていわれて。

―それ中2ですよね?

弦巻:中2です。で、それをやって、その時にスカーンって電流が流れるほど感動して。もうボロボロだったんですよ。何にも分かっていなかったし、先生も何かしてあげようみたいなのはなかったので。最後海賊と銃撃戦になるんですね(笑)。だけど銃声をどうするとかいうことも、もちろん頭が働いていないから、本番中に「あ!ない」ってことに気付いて、一生懸命マイクに向かって「ドンドンドン!」(笑)。ハンドメイドで上演して、でもそれがすごく楽しくて、お客さんも結構笑ってくれて、うわ、これはすごいと思って。中3になっても舞台やるぞって、その頃にはもう高校入ったら演劇部に入ろうと決めて、そうやって演劇と知り合って、あとはもうひたすら我流でトライしてはボロボロになって、その繰り返しという感じでした。

―すると中2が処女作という感じで、以降、高校時代はずーっと書かれていたんですか?

弦巻:そうですね。お話をつくる人になりたくて、子どもの時。小学生の時、ファミコンのソフトを考える人になりたかったんですね。ドラクエ(ドラゴンクエスト)が発売された時に「うわあ、やられた、オレ、こっち側の人になりたい!」と思って。でも、ゲームに夢中になったことはないんです、僕。ファミコン持っていない子どもだったんで、やってもヘタだしと思っていたので。ファミコンのソフトの設定を考える人になりたくて、だから友だちの持ってるソフトの説明書とかすごい読むの好きで(笑)。ファミコン持っていないのにファミコン雑誌毎月買ってたりしてました。でもそれが、今思うとすごい自分に影響与えているんだなと。お話作りのメソッドみたいなものはそこから多大な影響を受けているなと思うんです。だから、そういうのは好きな子だったし、小説めいたものだったりマンガみたいなものを描くのも好きだったけれど、先生は分かっていて「お前がやってみろ」となったんじゃないかな。作文とかも好きな子だったんですよ。一人だけ原稿用紙何十枚も書く子どもで(笑)。だから見抜かれていたのかもしれないですね。

 

―書くことと劇化することというのはなかなか違う所もあると思うんですが、その辺の面白さというのはその頃から感じていらっしゃったんですか?

弦巻:高校出て、仲間と劇団みたいなのを作って活動をはじめるんですが、自分の中では「何が演劇か?」というのは深く問い詰めて来なかったんですね。とにかく、面白い舞台がしたい、自分が見たい舞台をやりたいと思っていて。10代の頃は、テレビドラマと一緒じゃないかってすごい言われて、自分には言われている意味が全く理解できなくて、「目の前でやってるのに?」とか思っていたんですね。多分、脚本構造のことを指摘されていたんですが、僕は「目の前でやっているんだから演劇に決まっているじゃん」と思っていて、その辺の線引きが曖昧だったり、むしろ僕には明確すぎて、疑問を持たなかったんです。でもそうやってやっているうちに、自分が思い描いた通りにはなかなかいかない、自分が思い描いてる舞台でしか見れない面白さってそうじゃないのに、なかなか一緒にやっているメンバーにも伝えられないと思って、「自分は何を観たくてやってんだろう」とかすごく問い詰めたんです。そこからだんだん劇化するってこういうことかなと、10年近くやってきて見えてきたというか。あまり師匠についたり、どこかの劇団で学ばせてもらったということもなかったので、本当に成長が遅い(笑)、自分で失敗するまで理解できないところがあるんです。若い時は脚本の魅力のことだけ評価されてるっていう風に自分で思っていて、書いた脚本の通りやりたいだけなんだなって思ってる部分もあったのですが、だんだん他の作家さんが書いた台本に取り組むようになって、「あ、自分、演出しているんじゃないかな」って思える時があって、それで若手演出家コンクールに応募するようにもなりました。

 

―弦巻楽団の前もあったんですか?

弦巻:ありました。僕が19歳の時ですね。知り合った仲間と、一番年上でも21歳とか、ほぼ同世代。10代の子達で「ヒステリックエンド」という団体をつくって、最初は学校が春休みや夏休みだけみんなで集まってつくるという感じだったんですね。だから、ずっと続ける気はなかったんです。僕が代表だった訳でもなくて。ただ、何回かやっていくうちに、続けて見に来てくれるお客さんがいたりして、「ずっとやっていきたいな」って当たり前の様に思うようになって。自分はもう演劇でやっていこうと思っていたので、貧乏かどうかは考えたこともなくて、「演劇やるっしょ?」みたいな感じで。そこで8年くらい作・演出をやっていて、最後の半分の期間は僕が代表もやっていました。団体も大きくなって自分たちの稽古場もみんなで折半して借りたり、元気に活動していたんですけれど、いろいろと札幌で続けることや自分の成長のことを考えて「よし、ここでやれることはやりきったな」と思った時に、「卒業」って言って自分からそこを抜けました。

 

―弦巻さんは20年以上、創作活動をされていますが、弦巻さんにとって到達点や目指すモノみたいなものはありますか?

弦巻:書くこと自体に関しては、本当もう傲慢なんですけど昔から変に自信があって。ただ自分は天才肌ではないというのは重々承知しているので、自分が書きたいものや、やりたいものを問い詰めて問い詰めて、煮詰めて学習して、それを咀嚼して形にしていくことしかできないとは思っています。ある日、天啓が浮かんでバーッと書いちゃった、みたいなことは一度もないんですが、ずーっとやってますね。若いときは自分が影響を受けた演出家だったり、その作風みたいなものを目指してやってたのが、だんだんそこに収まりきらなくなってきて、自分の見たいものがずれてきて。10年以上前に「こういうことをやりたい」と思う形があって、そこを目指してつくって、またそこからもう一歩抜け出したいなと思って・・・と、自分なりにステップを見つけてトライしています。

 

―9月に三重で上演する「サウンズ・オブ・サイレンシーズ」はどのような位置づけになりますか?

弦巻:一番最新作であり、どちらかというと到達点というか、もうすごい削ぎ落として辿り着いたところだなという感じで。

―戯曲を読ませて頂いたんですが、イメージしやすいものをスタート地点に持ってきていて、ただ段々それぞれの登場人物の思いを見せていくという手法が鮮やかだなと思ったんですが、この作品を書こうと思ったきっかけは何ですか?

弦巻:僕は、作品によってモチーフから取っ掛かりを持ってはじめるときや、こういう場面を描こうと思って書くときもあるんですけど、あれはもうテーマから思いついた所がありました。演出家コンクールで最優秀賞を受賞した「四月になれば彼女は彼は」1)岸田國士「紙風船」の稽古をする男女の俳優2人。稽古をしている内にいつしかそこには紙風船の夫婦なのか、俳優の姿なのか、新しい違う何かが浮かび上がってくる。(2016年に津あけぼの座でも上演)という作品で、ある種自分で見つけた、それこそ僕が中学生くらいからはじめて、思い描いてた演劇の演劇たるゆえんの、なんていうか本当に最後に残された存在証明みたいな、「これだから演劇として面白いんだ」というポイントを活かして、今自分が描くべきテーマにどう乗っけられるかみたいなことを考えたんです。

今の社会に対する不満とか、今の世の中に対する「自分もなんか物申したい!」みたいな気持ちとか、いろいろあるんですけど、舞台と観客の関係性みたいなことを考える中で、「もっとみんな自分から責任を持って考えようよ」って。それは生きることであったり、社会に存在することだったり。舞台から何か投げかけられて、それを受け止めてからお客さんがそれについて考えたり、審議したりとか、よく言う「考えさせられる作品でした」っていう物言いに対して「それ思考停止じゃない?」って思うところがあって。気がついたらその渦中に居て、委ねられてる、どちらかというと客席で座って待ち構えているお客さんをいつの間にか舞台上に引っ張り上げるような引き込み方をしたいなっていうのと、いかにこうはっきりしたことを残さないかみたいなことも考えてました。そういう意味で、あの作品では、誰が何というのを見せないようにしながら、でも事態は取り返しの付かないところまで行きそうな、不安だったりとか、そういう所について言及できるものにしたいなと思ってやっていましたね。

―登場人物が4人出てきますが、4者それぞれの思いが浮かび上がる構造になっています。

弦巻:手法として、そこまですごく斬新かどうかは分からないのですが、嬉しかった反応としては札幌公演の後の反応で、「よく考えると全員ダメな人だね」って言う(笑)、みんないい人という体で、自分のことを考えて居るんだけど、そうじゃないよねっていう所。でも、じゃあすごい悪意があるかっていうとそうでもない。そこに多分、人間として何かを感じる部分があるんじゃないかと。

―今年9月の公演ではどんな俳優さんが出演するんでしょうか?

弦巻:弦巻楽団に10年前からレギュラーのように出演してくださっている、初演のオリジナルメンバー温水元さんと、昨年、三重にもお邪魔した深浦佑太さん。札幌ではあの年代で群を抜いて人気者でかつ技術も高く、俳優としての姿勢もしっかりとした役者です。女性は、3年前に僕の劇団のワークショップから舞台デビューをして、この「サウンズ・オブ・サイレンシーズ」でも存在感を見せた塩谷舞さんを姉に。妹は、いつかちゃんとやりたいと思っていて、今回新たに出演してもらう成田愛花さん。この4人でやりたいと思っています。

―初演と今回に違いはあるんですか?

弦巻:新しく何かを足すよりは、むしろ何かちょっと削るかもしれないぐらいの感じになりそうです。初演の札幌公演は大変好評だったんですね、すごいリピーター率が高くて、何回も来てくれる人が多くて。札幌ではハサミ舞台(客席で舞台をはさむ形)で上演したのですが、見方によって全然変わってきたりとかそういう面白さもあって。

昨年、三重で上演させて頂いた「四月になれば彼女は彼は」もそうですが、作り物になっちゃうと途端に面白くなくなる作品なんですよね。その場その場で役者がそこにパフォーマンスをするために居るんじゃなくて、本当に無防備な形でそこに居れるか?っていう、そういうある種の磨き方が必要なんです。ドラマツルギー(起承転結のような戯曲上の手法)とかカタルシス(観客の感情を発散させる仕掛け)を意図して作ってしまっては途端に大事な所が失われてしまうので、しんどいんですよね。作っていくときは、何を拠り所にしていいかというより、拠り所のなさだけが拠り所というか(笑)。だから役者も相当しんどいはずなのですが、そこは緩めずに、でも逆に言うと永遠に新鮮にやれる作品でもあるので、じっくり向き合いたいなと思います。

―シンプルな台詞から世界を見せるのは簡単なことではないと思うんですが、「サウンズ・オブ・サイレンシーズ」ではそこで成立していますよね。

弦巻:会話だけでどこまで見せられるか。あらすじの面白さでできるだけ引っ張りたくない。そういう意図を持って、自分にハードルを課して書きました。「サウンズ・オブ・サイレンシーズ」は、構えて書いたり作戦を練ったりせずに、でもエンターテインメントだぞと言えるような舞台にトライした作品なので、どう受け止めてもらえるか非常に楽しみです。

「サウンズ・オブ・サイレンシーズ」撮影:高橋克己

文・油田晃 TOP舞台写真:「四月になれば彼女は彼は」撮影:西岡真一(会場:津あけぼの座)