劇場と演劇を自由に出入りできる新たなコミュニティにしたい-柳沼昭徳 烏丸ストロークロック「まほろばの景2020」

2017年、宮城・仙台での短編創作から始まり、2018年に京都と東京で上演した烏丸ストロークロックの長編「まほろばの景」。2019年で活動20周年を迎え、劇集団として新たな地平を拓いた作品に再創造を加えた「まほろばの景2020」として兵庫、東京、三重、広島の4都市で上演する。創作の始まりは2019年12月、兵庫県の城崎国際アートセンターでの2週間にわたる滞在制作から。成果発表直前の劇作・演出:柳沼昭徳に展望を聞いた。

 

―2018年11月と2019年1月に仙台と広島でそれぞれ滞在制作を行い、東北に取材した郷土芸能・神楽を烏丸独自の解釈で構成・創造した作品「祝・祝日」。ここ城崎では、同作をつくり直すことから始めたと伺いました。2週間の創作はいかがでしたか?

柳沼:本当に良い時間を過ごさせてもらいました。初演から参加していただいている仙台の劇団 短距離男道ミサイルの小濱昭博さん、三重・第七劇場の小菅紘史さんに加え、宮崎・劇団こふく劇場のあべゆうさんにも参加していただく今回。烏丸のメンバー阪本麻紀と澤雅展含め、はじめましての方もいるので、集まってみないとわからないことが多いと思っていたんです。でも2週間という長い時間を、寝食を共にしながら創作に集中できる環境で過ごせたことで、お互いの、創作との距離感から個々の人間性まで見えて来た。創作の初動として理想的なスタートが切れたと思います。

―「まほろばの景2020」への助走として、俳優全員で神楽を舞い、奏でることから始めた理由は?

柳沼:この座組には出自も演劇の手法も異なる人間が集まっている。創作のための共通言語をどれだけ培えるかで、本番の在りようも変わって来ると思うんです。神楽はそれを奉納する共同体において精神的支柱となる芸能で、それを自分たちなりに分析・再構築して体験することで身体だけでなく精神的な部分、ひいては作品を貫く死生観をも共有できるツールとなる。結果、座組の集団性を高められると考えました。初演と同様、劇中でも神楽を舞うシーンはある予定ですし。

―稽古を拝見したところ、「祝・祝日」で創作した舞に加え、新作として「三番叟」(豊穣や国の安寧を祈る神楽の演目)なども加わり充実度が増したように感じました。

柳沼:宮崎・高千穂神楽などの夜神楽では夕刻から朝まで夜通し三十三番(演目)を舞うのが通例ですが、烏丸版神楽もコツコツ続け、三十三番までつくることが目標です(笑)。初参加のあべさんも、驚くべきスピードと柔軟さで振りや謡の節回しなど吸収してくれ、頼もしい限り。身体と精神両方を駆使する神楽という「言語」を全員で共有することで、僕が書くテキストに留まらぬ表現、より大きな物語を舞台上に立ち上げられると思っています。

それに神楽を舞うことで、それまでとは違ったリズムや強さを得た俳優の身体、そこから発せられる言葉も変わってくるはず。それも踏まえ、劇作家としては、「日常会話ではない言葉」を書きたいと思っているんです。

―具体的にはどういうことでしょうか。

柳沼:新しいキャラクターも増えますが、障がいを持つ青年・和義や、彼の行方を探す介護職だった男・福村など主な登場人物は前回と同じですし、ドラマの大筋は変わらない予定です。が、彼らに語らせる台詞を一般的な言葉による会話だけでなく、詩歌や謡、祝詞のような、ある様式性を持った言葉の連なりで表現したい。城崎でつくった新しい神楽にも、古語や祭文のような言い回しを使っていますが、それら密度の高い、凝縮した言葉と現代の日常的な言葉の境を縫うような台詞が書きたいんです。自分にとって高いハードルになるとは思いますが。

演劇では「身体を補足する言葉」や、逆に「言葉を補足するための身体」といった関係性で、舞台上に言葉と身体が乗せられることが多い。でも今回は、言葉と身体両方の強度を上げることで相乗効果が生まれ、単なる説明や意味の伝達を超えたさらに高次なレイヤー(層)に至る表現を追求したいと思っていて。もちろん、お客様に難解な作品を見せたい訳ではないですし、今回初めて「まほろばの景」をご覧になる方々にも、それらつくり手の思惑を超えて腑に落ちる表現が目指すところですが。

―聞いているだけでワクワクしてくる野心的なチャレンジですね。

柳沼:もう一つ、前回は福村が中心というか、彼個人が物語の軸になっていましたが、今回は5人の俳優たちが演じる「劇中の登場人物全ての物語」にしたいんです。「集団の力」を見せたい、という言い方でも良いかな。演劇は一人ではつくれない、複数の人間の足し算というより、その相乗効果によって成立する複合芸術ですよね? そんな、集団で創作・上演するからこそできる表現、その可能性を舞台上に乗せたいと思っています。

―集団での創作・上演だからこそ、劇作・演出家である柳沼さんがどんな視座で世界を見つめ、何を考え、題材や言葉を選んだのか、ご自身のフィルターが問われるようにも思います。

柳沼:そうですね。僕自身の中でも、この2年で演劇に対する向き合い方が変わり、そのためにつくる方法の選び方も変化している。そのことを自覚的に、今回のクリエーションに臨みたいです。

今の自分が一番関心を持っているのは「コミュニティ」について。神楽という芸能の強度の高さは、そのままそれを継承するコミュニティの強さだという実感を、東北の神楽を取材する中で得ていて。山間部の過疎地など、神楽があることによってコミュニティが継続している所もあると思う。顔も名前も考え方も知らない誰も彼もと結びつき、コミュニティをつくるのは不可能ですが、神楽や演劇などのような、同じ価値観や志向を有する人たちだけが集まる場所だけでも強く繋がり、結び合うことは、個人の孤立化が社会問題になっている日本の現状において、問題解決のための手法の一つになるのではと個人的には思っています。

もちろん、どんなコミュニティも集合と離散を繰り返すし、人が集まれば諍いが起こり、離れていく人もいる。でも多様なコミュニティがあちこちにあれば、出入りの選択が広がりますよね。僕は、演劇や劇場をそういうコミュニティとして考えていきたいんです。

―地域の様々な都市や集落、特定の信条を持つ生活集団などでフィールドワークを重ね、人の暮らしと演劇を密に結ぶ創作を重ねて来た、烏丸ストロークロックならではの視点が生きる作品になりそうですね。

柳沼:演劇を介して、日常では絶対に出会えない・繋がれない人たちを結び、響き合わせたい。そのために僕自身とカンパニー、そして作品の強度を上げるべく稽古を重ねていきたいと思っています。

客演俳優からのメッセージ

小濱昭博(劇団 短距離男道ミサイル・宮城県仙台市)
創作のための設備が万全のセンターに滞在したうえ、歴史を感じさせる古い町並みや、由緒ある寺社を携えた山まですぐ近くにあるという贅沢な環境。城崎の町の空気や流れる時間までが、創作に良い影響を与えてくれるように感じました。僕は「まほろばの景」初演も、翌年の神楽を主体とした「祝・祝日」にも出演しているし、二作に通底する東日本大震災も宮城で経験している。だからこそ、あれから9年が経とうとしている現在との時間や距離、体感の薄まり方などをしっかり受け止めつつ再創造に臨みたい。この2週間を経て、柳沼さんから新たにどんな言葉が生まれてくるのか、とても楽しみです。

小菅紘史(第七劇場・三重県津市)
一日の終わりは温泉につかり、裸のつき合いをしつつ芝居以外にもあれこれ語り合える。創作以外にも充実した時間が過ごせる豊かな環境が、城崎の何よりの魅力でしょう。2週間の稽古は烏丸オリジナルの神楽舞をつくり、成果発表に備えることが主な目的。そのまま創作への展望が開けた訳ではありませんが、神楽を踊り続けた時間と体感が新作の足掛かりになった。結果、柳沼さんがこの後に新たに紡ぐであろう新作の言葉や表現が、よく沁みる状態に自分を持っていけているかな、と。作品に出会い直す時間と、新たに出会う土地と観客に向き合う瞬間が楽しみでなりません。

あべゆう(劇団こふく劇場・宮崎県都城市)
私だけが烏丸初参加ですが、城崎での滞在・創作ともに不思議なほど居心地良く過ごさせていただいています。題材や表現方法は違うけれど、柳沼さんと烏丸ストロークロックの演劇へのアプローチは、私が所属するこふく劇場に通じるところがあるんです。落語や能狂言などを完全コピーして、所作や発声に取り込むなど、こふく劇場でも試みていましたから。この2週間で、創作のための共通言語や身体の在りようなど「まほろばの景2020」に必要な下地が、私にも多少なり沁み込んできた気がします。この先の創作も味わい尽くせるよう、ドップリ烏丸の稽古に浸るつもりです。

取材・文=尾上そら
写真=
上/「まほろばの景」(2018)撮影:東直子
下/(c)igaki photo studio 写真提供:城崎国際アートセンター