弦巻啓太 「演劇の醍醐味」を捕まえる 岸田國士「紙風船」からはじまった

―この「四月になれば彼女は彼は」という作品が生まれた経緯を教えてください。

弦巻:若手演出家コンクールの最終審査1)日本演出者協会主催若手演出家コンクール2014に応募し、2015年3月に東京・下北沢で行われた最終審査のために創作し最優秀賞を受賞したのがこの作品。に臨むにあたって何をやるべきかを考えて、演出のコンクールだから演出を見せようと思いました。ずっと演出をやってきたりいろんな演出家を見ていて、演出のテクニックみたいなものは自分なりに分かっている部分もあるんですけど、それを競い合うのも変な気がして。音や光の差し引きのテクニックを争うのが演出家コンクールなんだろうか、っていう疑問があって、そうじゃなくて演出とはなんであるかっていうところで、新しいビジョンだったりコアになるものをいかに掘り出せるのか、ということが問われるだろうと。脚本もシンプルにして自分が演劇に思う醍醐味とか、演劇における演出の役割としての、一番芯になる部分、そういうものを考えて作っていった作品でした。
いろんなテキストを使って二人芝居を作ろうとしてみたんですけど、何をやってもお話として盛り上げよう、ドラマとして完成させよう、そうしている自分を感じていました。そうじゃないなと思って、その感覚をそぎ落としてやっていくうちに、「紙風船」が題材として残りました。「紙風船」を、奥さんの役は稽古場にあった枕を置いて、それに向かって深浦(佑太)くんに一人だけで演じてもらったときに、「これだ!」と思いました。なにも言わない枕に向かって夫のセリフを喋っているだけなんですけど、夫とこの人形の関係はなんなのか、返事がないのにセリフを投げかけ続けることによって、妄想や空想が広がっていくような気がして、これが自分にとって演出というか「演劇の醍醐味」だなと思ったので、それを二人芝居にいかに落としていくかを考えて生み出されました。

―「演劇の醍醐味」とおっしゃられましたが、少し具体的にお話いただけますか。

弦巻:演劇だからこそ受け取れるものってなんだろうって考えると、何がなされたかじゃなくて、そのアクションを切っ掛けにこれから何がなされるかっていう緊張感が、その場にいる人間でしか感じ取れないことじゃないだろうか、それが演劇の醍醐味なんじゃないかと思って。
言葉にすればアクションよりもリアクションなんですけれど、そうした演技の基礎のことだけじゃなく、空間がどう呼吸してるかみたいな…言葉にしにくいんだけど掴んでいるつもりなんですよね、その感覚っていうのは。「四月になれば〜」だけじゃなくてこの間の「サウンズ・オブ・サイレンシーズ」2)若手演出家コンクール最優秀賞受賞記念公演として2016年3月に東京・下北沢、4月に札幌で上演。もそうですけど、醍醐味を証明や説明するのではなくて、正体不明の醍醐味のまま現出させることを念頭に置いてます。
答えではなくて、疑問を投げかけることで浮かび上がってくるような。

―若手演出家コンクール最優秀賞を受賞したことで作品の作り方に変化はありましたか?

弦巻:変わりました。テーマの取り方は変わらないんですが、新作を生み出すときはもちろん受賞作の方法論を踏まえてます。再演のときも根本で意識が変わりました。僕の作品ってありがたいことにずいぶん昔の作品を今でも再演させてもらっていて、書いた当時は漠然と意識していただけですが、完結しないように作っているところがありました。世の中に対して、俺はこう思う、ってテーマをドンと突きつけるんじゃなくて、こうじゃないのかい?って疑問として提出する、そうすることによって見ている人がなにか考えることが出来るような提示の仕方をしていて。
例えば、自分が考える「人生」や「愛」の結論って、その時々で大事かもしれないんだけど、時間が経てば風化したり、もしくは僕以外の誰かも言っていることだと思ったんですよね。そして人によってはその結論を受け入れられないかもしれない。そうじゃなくて、自分やこの世界、または自分の優柔不断さや弱さを全部否定する立場で疑問を投げかける。そんなことだから世の中よくならないんじゃないか、とか、そんなことだから愛は成立しないんじゃないか、平和は訪れないんじゃないか?という疑問を提示したら、幸か不幸か世の中が進歩していないから、今でもその問いは成立している。再演に今のところ耐えられる。

―人間に対する問いって、根本的には変わらない?

弦巻:そうなのかもしれない。だからずっとそれをやれるのかもしれない。ラッキーなことに根本的にそういう作品作りをしていたからか、「四月になれば〜」で掴んだ演劇の醍醐味っていうある種の問いかけとベクトルはうまく一致したんですよね。「四月になれば〜」で掴んだ方法論で再演に取り組んでも、もっとむしろ奥行きが出るっていうか、ちゃんと筋が通った感じがして、再演する作品の評価も高くなったような気がするので、自分としては後ろ盾を得たという感じがしています。

―「四月になれば〜」に出演する二人の俳優さんはどんな方なんでしょうか?

弦巻:深浦佑太はここ5年くらい僕の演出作品で舞台に立ち続けてもらっています。平凡な言い方ですが、ものすごく貪欲で向上心がある役者。自分のことを批評的にも客観的にも考えて、よりよい演技とはなにか、よりよい役者とはなにかっていうことをずっと考え続けてる。僕の作品ってベタな作風と思われがちなんですが、登場人物が物語の始まりの時点である要素を背負えるかどうか、を大事にしています。一言で言うと、「既に負けてる」ってことなんですけど。人生に負けて諦めきれているかどうか。それを背負える珍しいタイプの役者さん。どうしても役者って張り切っちゃうから、舞台上で普段の人生よりも、充実したものだったり、特別なものを舞台上にあげようとしちゃうんですけど、そうじゃないってことにも気づいている。そんなこと言ってもあまりオススメにならないか…。上手です!(笑)。何も隠さずそこにいるってすごく勇気のいることなんだけど、今までいろんな劇団や作品を経験してきてテクニックもあるのに、一切それを持たずに舞台上にいることのできる役者さんです。
深津尚未は、劇団に入って3年目くらいで、ずっと僕のやり方でやり続けてくれていて、ものすごく不器用で、自分のことを拒否したいくせに自分以外っていう引き出しにまだ目がいっていないようなところがあるんですが、舞台上で相手に向き合う時、良くも悪くも自分を飾って人に見せようって意識がないので、目の前の相手とその瞬間、その瞬間向き合うことが身についてきていて、劇団員も少ない中、いろんな作風の作品がある弦巻楽団でどの作品でも要になってきてくれています。あ、スタイルがすごくいいです(笑)。

―「四月になれば彼女は彼は」は、東京での初演以来、札幌、函館、苫小牧と公演して、今、韓国公演と道外ツアーに向けて稽古していますが、回を重ねて演出の仕方、ダメだしの種類など変わってきていることありますか?

弦巻:悪い言葉に聞こえるかもしれないですけど、いかに安定しないか、みたいな話なので、形としてまとめればいいってものでもない、かといって適当にやっていいものでももちろんない。完成がない不安なままキープできるか、いかに保証を持たずにやり続けられるかという作品ですが、どうしても回数重ねてくると形になってしまう。深浦くんにはそれを壊すように全体的に漠然としたことを言うようにしてます。逆に深津の方はまだ安定するっていうことの方がむしろ不得意で、狙ってもできない人だから、細かく細かく安定する方向へ、一個一個のセリフの方向性や所作をはっきり認識させるようにダメ出しをしています。

―前回公演「サウンズ・オブ・サイレンシーズ」でもそうでしたが、稽古場で役者に考えさせる時間を多く取っていますね。

弦巻:例えば「ユー・キャント・ハリー・ラブ!」3)初演は2005年。今年1月、札幌演劇シーズン2016-冬参加作品として4度目の上演。劇団公演として初の集客1000人超えを記録した。の時はあまりそういうことはなかったと思うんですけど、「四月になれば〜」も「サウンズ〜」も長く僕と一緒に作品作りをしてくれている人たちで共通言語が多いから、これ以上新しい言語を増やすより、今までの共通言語の中でピントを合わせていく方がいいんじゃないかと思ったのと、作品自体も、「サウンズ〜」はどこか一カ所、具体的に形を変えると大きくビジョンが変わってくる作品でした。4人の登場人物の相対でキャラクターが見えてくるので、この人を悪くみせたいって時に、その人を悪くすればいいっていうものではなくて、他の3人がどう振る舞うかでその人が悪く見えるかどうかっていう。なのでみんなで考えてもらうことを多用したところはあります。

―今回、道外の4都市を回ります。東京、愛知以外は初めて訪れる地域ですが、これまで外へ出るということを考えたことはありましたか?

弦巻:自分から打って出るっていう考えは何年か前まで全然なくて、ちゃんとしたことやっていたら呼ばれるだろうと思っていました。呼ばれないのはちゃんとしたことをやっていないからだと思っていて。これはただの愚痴ですけど、北海道、札幌の演劇界で周りからもっと評価されたい、認められたいと思ったら札幌以外のところで評価されるのが一番手っ取り早いんだなと正直思って。だから、今までは自分から賞に応募したこともなかったんですけど、一昨年くらいからいろいろと応募するようになりました。
お芝居のローカル性みたいなものもわかってきたところがあって、まだそれがいいのか悪いのか、それをどういう方向に持っていこうとか結論は付けられていないんですが、各地でこの作品がどう見えるかっていうことを通して、自分たちがいる札幌の演劇のあり方っていうのが浮かび上がってくるんじゃないかと思ってます。

―最初が三重公演です。三重の印象は?

弦巻:演劇的には秘境であり、本格的なイメージがあります。愛知の劇団、名古屋の劇団は名前を聞いたことがあるんですけど、三重は劇団単位でっていうよりも、町や劇場が、地域を文化的に高めようとしているイメージがすごくあるので、そのお眼鏡に叶うかというプレッシャーはあります。

―三重のお客様にメッセージを

弦巻:演劇の醍醐味って、そこでAという人間とBという人間や対象物が向き合っている姿から全然別の何かが浮かび上がってくることがあると思うんですよね。「四月になれば〜」はエンターテインメント作品として受け取ってもらってももちろんいいんですけど、「紙風船」だったり、台本に向き合う二人だったり、作品作りに取り組んでいる我々だったり、そうしたものが多層的に提示される空間になると思うので、それがどう受け止められるのか。他者と出会うと演劇ではよく言いますけど、まさにそういう空間になれたらいいなと思います。ぜひ、出会いに来て欲しいです。